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カフカ鼾 新宿Pit-Inn 2Days

14年9月14日(日) カフカ鼾: ジム・オルーク(Bass+Effects)、石橋英子(Grand Piano、Keybord+Effects )、山本達久(Drums+Effects) + 勝井祐二(Violin+Effects)
14年9月15日(月) カフカ鼾: ジム・オルーク(Bass+Effects)、石橋英子(Grand Piano、Keybord+Effects )、山本達久(Drums+Effects) + 山本精一(Guitar+Effects)

欧米のポストロック、実験音楽シーンで活躍したジム・オルークが、世界を飛び回ることをやめて東京に住み始めたのが2006年。そして、この東京でジム・オルークが主体となって継続的に活動させているバンドは数少ないと思うが、カフカ鼾は珍しくジム・オルークが継続的に13年初頭から数か月に一度のライブを行っているバンドだ。方法論とそれによって生み出されるサウンドを簡潔に説明してしまうならば、即興で生の楽器とエフェクターを用いながら、ミニマルに音を反復させたり、ロングトーンで持続させたり、拡散させたり、変調させながら、微細音から轟音の間の響きのダイナミズムを時間をかけてゆっくりと変化を描いてアンサンブルを形成していくバンドといえる。それはジム・オルークの過去のポストロックや実験音楽の活動でのドローンやアンビエントの作品とも連続性があり、現在音源として入手可能なのはBand Campよりリリースされた初期録音と去年の六本木Super Deluxのライブ演奏を録音したCDの2作品。即興演奏によるそのサウンドはライブごとに全く異なるため、毎回のライブを聞き逃すことのできないバンドだ。
ここで、まずは各メンバーの演奏についてそれぞれ説明していきたい。
ジム・オルークはライブではシンセサイザー(Synthi A)と多数のエフェクターを使用することが多く、バンド全体の響きを聴き調整しながらリアルタイムで電子音のサウンドプロダクションを行う。
石橋英子は鍵盤によるミニマルな反復やエフェクターによるロングトーンの形成、変調を行いつつ、その演奏をループさせることで更にミニマルなサウンドにしていったりする。シンガーソングライターとしての作品作りやピアノでの弾き語りの活動も行う彼女だが、彼女の最近のカフカ鼾周りでの即興のピアノはミニマルな演奏が多い。このミニマルな面は彼女の過去の作品(Works for everythingやイタリアの即興演奏家との共演アルバム「Maboroshi」など)からすでに聞くことができるが、(彼女がドラマーでもあることとももしかしたら何か関わりがあるのかもしれない)、彼女の音楽性が自然とジム・オルークとの出会いを引き起こしてから、彼女のなかでミニマルな演奏の追求がより高まったようにも感じる。
山本達久は、他の二人が静かなアンビエントやドローンを形成して演奏が開始される中で、小物(ホースやたわしや金具の様なもの)で音を出したり、それらを用いてヘッドを擦ったりするなど、多様な方法でドラムセットから様々な音の響きを即興で発生させる。この演奏方法自体は以前から行っていたことだが、更に最近は、カフカ鼾が活動開始して去年から始めたコンタクトマイクとディレイとリングモジュレーターとルーパーによるドローンのようなサウンドをリアルタイムに演奏するようになり、表現の幅がより一層広がっている。
そして、静寂から音楽がはじまり、ゆっくりと音が立ち上がって行き時間が経過する中で、山本達久はドラムでリズムを叩きはじめる。その時の響きや時間が推移していくに従う演奏の高揚に応じてブラシやスティックなどに持ち替えて、しなやかで軽やかなビートから激しいビートまで多様に叩きわける。他の二人がミニマルだったりアンビエントな音響を発生させる中で、その中から呼吸をつかみだし、リズムを立ち上げて、徐々にビートを強調していき、それに応じて石橋英子が紡ぐピアノのリズムが徐々にドラムのリズムとあわさりあったり、またはずれながら共存したりする。リズムの同期と非同期の間を揺れ動く中で、そのドラムのビートは、リズム/バンドの土台になっている以上に、全体の音響の一部に溶け込んでしまうかのように響く時があり、これは様々な音響的な音楽があるなかでも稀有な瞬間だと僕は感じている。
カフカ鼾はメンバー三人がディレイやループを多用するが、これらをバンド内で用いるのは今や特にめずらしいことではない。たとえば、ギタートリオとしてのフォーマットでのバンド的なアンサンブルを完全即興で形成していくキャリアの長いバンドとして、ECMビル・フリゼールから影響を受けている内橋和久のアルタードステイツを挙げてみる。そこでは内橋和久は必ずループを用いるが、それは、自分を増殖させたり、自分で共演者を作り出すことによって、一人でアンサンブルを拡張して形成しているという一面がある*1。しかしカフカ鼾の様な、ゆっくりと響きを変化させるバンドにおけるディレイ、ループの用い方は、それとは少し異なる態度である。ディレイやループによって自分の演奏が時間を隔ててスピーカーから鳴ることによって、自分の音を自分からひき離して、音楽全体の一部にする。そして、自分の過去の響きとリアルタイムで鳴らされる他の奏者の音の響きに耳を開きつつ対話しながらアンサンブルを組み立てていく。そこでとられている態度は、演奏家としての個を増強したりぶつけるのではなく、共演者や過去の自分と対話しながら、新しい響きや波を見つけていくもののように感じる。
さて、ライブの話に徐々にうつりたいと思う。今回の新宿Pit-Innのようにカフカ鼾がゲストを招き入れるのは初めての事ではなく、過去、カフカ鼾はチューバ奏者の高岡大祐、ノルウェーのトランペット奏者Eivind Lonning(ex. Christian Wallumrød Ensemble )と共演している。昨今の即興音楽シーンでは、音響発生装置のように捉えて、電子音、ノイズ、ドローンのように管楽器を演奏する音楽家が多い傾向がある*2のだが、この二人の金管楽器奏者ももれなくその中に入り、エフェクターを通さず、マウスピースや楽器本体を通常の奏法で使用せずに、響きを紡いでいく音楽家だ。
どちらとの共演も私自身ライブで聴き、双方ともとても良いライブだったと記憶している。特にEivind Lonningの、まるでトランペットから音が鳴っていないようかのような響きは、カフカ鼾のサウンド、特にジム・オルークのシンセサウンドにそのまま溶け込んでしまったかのようだった。溶け込みすぎることで、彼のサウンドがどこに響いているのか把握しずらく、彼単独のトランペット奏法の凄さが分かりにくかったが、それは個の主張をあまり行わない最近の即興演奏家の態度ゆえの結果だといえる。*3
このような即興演奏での「個」の主張や感情、存在を無にしようとする試み*4は、例えば大友良英Ground Zero後のFilament、ISOなどでの活動でも行われていたが、大友良英Sachiko Mほどの極端なまでのミニマミズムの追求ではない方法で、このアティチュードを引き継いだり、影響を受けたり、または影響は関係なしに、新たな即興のアンサンブルを目指そうとしている演奏家は最近とても多いのではないか。
大きな決まりがない上で各個人が音を紡いで演奏を形作る即興演奏は、その演奏者の「個性」が演奏の流れや全体のサウンドを作るため、メンバーが一人増減されるだけで、その演奏内容が様変わりする。このため、ただのセッションではない、あるコンセプトをもった即興のバンドではたやすく他の演奏者を入れることは難しい。カフカ鼾のようなミニマム/ミニマルに即興演奏を行うバンドで、高岡大祐やEivind Lonningというゲストと共演したのは、彼らがこのような「ミニマムな個」として音を発することができる音楽家だからこそだといえるのかもしれない。
そんな中で、今回の新宿Pit-Innでの2daysで、一日目に勝井祐二、二日目に山本精一という、ROVOのメンバーでもある若干上の世代の音楽家を招きいれる事となった。二人ともエフェクターを操った多才な音の響きの演奏を行う素晴らしい音楽家だが、高岡大祐やEivind Lonningの共演者の周辺の即興シーンとは少し離れた位置におり、演奏のアプローチも異なるため、カフカ鼾の演奏にどのような変化をもたらすのか大変期待して観に行った。
一日目の勝井祐二との共演は、彼のヴァイオリンとエフェクターによるアンビエントな演奏がカフカ鼾の演奏とマッチしており、また、演奏の後半ではかつてのカフカ鼾にないほどに奏者全員の熱量があがった、かなりハードなシーンもあって、彼らの化学反応をとても楽しめることができた。
二日目の山本精一との共演については、予想以上に素晴らしかったのでもう少し詳述していく。
ゲストが加わって高い音域で音が混雑しカオスにならない事を考慮してなのか、ジム・オルークがベースの役割に回り、いつものシンセサイザーによるサウンドプロダクションが減ることで*5、静寂な音空間が増え、そこに石橋英子グランドピアノのミニマルな響きが浮かび上がる。その上で山本精一は、単音で調性( ドレミファのメジャースケール)にのったシンプルなフレーズを反復させ、山本達久が軽やかな8ビートを叩きはじめる。そして、ジム・オルークはビートに乗せてベースのフレーズをシンプルに反復させる。各々が発する音のリズムが同期と非同期の間を揺れ動いていく。それはまるで、山本精一が2002年のアルバム「Crown of Fuzzy Groove」で目指したミニマルな音世界と、カフカ鼾の音風景が見事に合わさっていたかのようだった。
より具体的には、リズム面でとらえると、山本精一がこのアルバムで打ち込みによって追求したシャボン玉のようなFuzzy Groove=曖昧なグルーヴ*6が、カフカ鼾との生演奏で実現できてしまったかのようだった。個人的には即興演奏でこれほどまでに調和された世界を提示されたことは今までほとんど経験していないと感じている。しかし、その調和された世界に永遠に安住せず、ふとしたきっかけで演奏は次第に激しくカオスに拡散されていって1stセットの演奏は終了した。
2ndセットの前半も1stセットの流れをくむ演奏だった。このセットは20分ほどで一旦演奏が終わり、2回目のセッションもあったのだが、この演奏とアンコールについては、それまでのミニマルでアンビエントな演奏とは少し異なり、より即興的で、フレーズのかたまりのあるセッションとなっており、カフカ鼾の演奏の別の可能性が垣間見れた。
旅に向かい移動する中、いつの間にか周りの風景が変化していく。そして、帰ってきたときには元の自分ではない。カフカ鼾の演奏は、変化や他者を受け入れながら、自分の道を進むことの大切さを伝えているように僕には響いている。

*1:これはあくまでも一面であり、機械のつまみを弄ることによってループさせている素材を偶発的なサウンドに変化させ、その予想不可能なサウンドと共演するという面もある

*2:エフェクターを用いる音楽家もいるが、完全に生音で特殊奏法やミュートを駆使している音楽家も多い。会場や演奏内容の条件や奏者の意図としてマイクを通してスピーカーから出すかださないかの違いはある

*3:脱線しつつ関連のある話題をするが、この夏初めてワールドハピネスに行った。そこで特徴的に感じたのが金管楽器の起用の多さだった。権藤知彦(トランペット or ユンフォニウム)は高橋幸宏 with In Phase、くるり、No Lie-Sense(鈴木慶一&ケラリーノ・サンドロヴィッチ)、高橋幸宏 & METAFIVEに、ファンファン(トランペット)はくるりに参加。奏者の資質にも関係はあるだろうが、ナチュラルな金管楽器の音色は電子機器の響きやアコースティックのアンサンブルに溶け込ませやすく、好まれて使用される傾向がある。反対に木管楽器のサックスがこのような用途で用いられないのは、ざらついたジャズ的な音色の特色やソロ楽器としての存在感がポップミュージックにおけるサックスでは出てしまいがちになるからではないか。

*4:逆説的にその態度は、音を聴きながらミニマムな発音を行うという個の意志の表れでもある

*5:もちろんベースでもエフェクトを駆使して素晴らしいサウンドプロダクションを行うシーンもあった

*6:山本精一曰く、「あれはリズムマシーンの反則使い的なもので、どんどんパターンを1小節に2回ずつつくらい変えていってるんですよ。いや、そんなもんじゃないですね。1小節に8回くらいかえてますね。それがひとつのグルーヴになって錯綜して〜」参照 原雅明著 音楽から解き放たれるために