UN.a 『Intersecting』

 
Intersect : 交差する,相交わる.
 
現在進行形の交差、と題される本アルバムが「ジャズ&エレクトロニカのニュースタンダード」とプロモートされるのは、このアルバムが昨今世界的に活性化しているジャズ周辺の音楽への応答となっている面があるからだといえる。

澄んだ女性ボーカルによるエレクトロポップスとして多くの音楽リスナーに訴求する響きとなっている本作品に、ジャズの響きがあるとしたらどこだろう。

例えば、響きのテクスチャ。フュージョンやソウルなどのブラックミュージックで多用されるローズ・ピアノや、サックス、ウッドベースの音色。
 
例えば、音列操作。セブンスの和声進行、M1で不穏にはさまれるAugmentedコード。サックスのフレーズの半音階の動き。
 
例えば、リズム。現代版ジャズにおけるビートの進化は主に、ポリリズム変拍子の導入、そしてそこから生じる訛りを指し、これらはもはや一般教養化しているといっても言い過ぎではないと思うが、本アルバムでも、M1には7拍子と5拍子の奇数拍子の移り変わりがあり、M3には5連符の揺らぎの3拍子に対し、さらに4拍子が交差している箇所があるようにきこえる。
 
ここで私は、ジャズで用いられる楽器の音色が響き、音列や和声の時間変化があり、リズム構造があるということで、この音楽も現代のジャズなのだ、と単なる普遍論を唱えることはしない。ジャンルを規定するのは、音色でも音列でもリズム構造でもなく、私たちのラべリングの欲望、所有の欲望である。
 
とはいえ、キャラメルナッツがトッピングされたアイスクリームが美味しいように、フレイバーとしてジャズがトッピングされたエレクトロニカはとても美味しい、という喜びのマリアージュを本アルバムから感じることはできる。しかし、それよりも私は、打ち込みと人力演奏の交差(Intersecting)から芽生えようとしている響きに興味がある。私は、ここに、本アルバム自身がもつ特性、昨今のジャズにおいてもあまりみられないサウンドをききとる。
 
人力とマシンのリズムの相互影響によって、ニューチャプターや今ジャズとよばれる現代のジャズにおいて人力ドラムの進化論が指摘される中、本アルバムでは、プレイヤーによるドラム演奏はなく、人力リズムの揺らぎのグルーヴは感じられない。その代わりにリズムは打ち込まれ、電子音、ノイズがステレオ空間をあらわれてはきえゆく。そこには、生ドラムでは生じえないグルーヴがある。
 
そのような空間の中で、生演奏の導入の割合が特に多いのが、M1である。ローズピアノのやわらかな和声がボーカルを彩り、エレクトリックギターはボーカルに対してカウンターのようなメロディを奏でたりしている。低音はエレクトリックベースが支え、5拍子の躍動的なグルーヴを作ったり、ビートが控えめな箇所ではメロディアスになったりしている。これらの生演奏は機械的なバッキングをすることなく、ボーカルのメロディに対して、有機的に絡み合っている。それは最初に指摘した面も合わせてジャズ的ではあるが、さらにそこに共存する電子音の数々は、ジャズとは別の何かにたらしめている。
 
トラックに導入される生演奏のバランスは曲によってまちまちである。例えば、M2やM4などは特に親しみやすいエレクトロポップチューンとなっている反面、生演奏の割合は少ない。だが、全ての楽曲の中であらわれるサックスは、メロディ装置となっていると同時に、スケールから音をはずし、断片的なフレーズをはさみこみ、それはフリージャズ的なソロであるという以上に、本アルバムに通奏して不穏さをあらわす。特に、M5において、サックスのメロディの半音階の動きは、調性の希薄なウッドベースのラインとともに、ドローンの曖昧な世界をよびだす。
 
反対に、ときに曖昧にうつろいゆく音世界になっても、本アルバムがポップスと聞こえる強度をもたらしているのは、ボーカルの透明な声色とメロディだ。M8の途中で曲が切断され、ウッドベースとビートのアブストラクトな世界になるなかで、ボーカルがもう一度メロディの世界を誘い出す。
 
エレクトロニカとジャズとクラシック、ポップスと実験、人と機械、具体と抽象・・・など幾層もの交差が生じている本アルバムは、様々な角度から照射することで、影響関係などを露わにする事はある程度可能だとは思うが、交差から新たに芽生えるものは、既存の価値観で捉えようとしても、多くは影となり残されたままになるだろう。本アルバムの魅力はそのあいまいな影のうごめきにあらわれていると私は思う。