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151031 水道橋 Ftarri

杉本拓(ギター)、Johnny Chang [from Germany/New Zealand](ヴァイオリン、ヴィオラ)、池田若菜(フルート)、大蔵雅彦(リード)
 
前回紹介したAntoine Beugerの作品にヴィオラで参加しているJohnny Changがちょうど来日し、Wandelweiser楽派の音楽家と親交のある杉本拓とのコンサートがちょうどあるということで、水道橋Ftarriへ。
 
一部の演奏は杉本拓作曲作品(「Quartet」というタイトルだとか)。前回取り上げた『konzert minimal』と同様に、持続音を主体にできている。杉本拓以外の3人はアコースティック楽器。杉本拓はエレクトリックギターをe-bow(電気的に弦を振動させ持続音をならすための装置)を使用して演奏。e-bowから生じる持続音にはゆらぎやかすれは感じられない。
 
4人の前には楽譜が置かれた譜面立てがあり、それぞれ、別々のタイミングで(きっと楽譜にかかれているであろう)一定のピッチのロングトーンを持続させては、沈黙し、ピッチをかえてまたロングトーンを響かせる。
 
単純に思える演奏だが、少ない組み合わせの中で*1、各楽器から生じる音の関係はさまざまに、そしてゆるやかに移り変わってゆく。
 
その中で4人ともが音をならさない沈黙の時間は短くて、長くて5秒程度だったと思う(もっと長かったかもしれないけれども、体感ではこの程度のように感じた)。この沈黙の短さは何かしらの指示で制御されていたのかもしれない。一旦の短いリセットはあるが、音はほとんど常に響いていたかのような印象が残る。
 
そして、音量はほぼ一定であり、音のダイナミクスもほとんどない。そうなると、耳は自然と、4つのそれぞれの楽器と、変わりゆく音程の響きのたたたずまいにひかれる。その中で、楽器の倍音を感じ取ることもだんだんとできるようになるが、それも束の間の事であった。持続していた音はある瞬間にふと消えゆき、または、別の楽器の音がふとたちあらわれる。ある一つの状態の響きを捉えようとしてもすぐに逃げてゆく。
 
このため、ある音をフォーカスしてきこうとしようとしても集中力は続かず、しだいに、それぞれの音が溶けたかのようにきこえる感覚になる。
 
演奏は50分間、延々と行われたが、長時間だと感じることはなかった。永続的にゆるやかに移りゆく音の運動の中で、耳の焦点もゆっくりと変化してはうつろいゆき、それは、飽きがこない、といういいかたもできるが、それよりも、持続音は時間を感じる感覚を限りなくなくそうとするからなのかもしれない。
 
面白いのは、12音階を用いており、ときおり、各楽器の音程関係が長3度(ドに対してミ)や完全5度(ドに対してソ)などになることがあっても、それは和音(ハーモニー、コード)の協和には決してきこえようがないところ。一般の音楽における和声進行の力学は、規則的な時間順序の中での変化によって成立しているのが分かる。
 
そして、長時間の持続音の、不規則な時間順序での音程の変化と音の消失は、決してメロディにはなりえない。
 
また、時折、楽器の音が重なると鼓膜の奥に重みが少しのしかかったかのような低い響きを感じることが幾度もあった。それは、二つの音のピッチが近いときに発生する「うなり」であるように感じることもあり、それは、光の干渉縞(高校物理で習うヤングの実験を思い出そう)を鼓膜で感じている、かのような感覚。
 
さらに、うなりというよりかは低周波の音が実際に響いているようにきこえるときもあった。それは楽器から直接ならされていないはずの音。これも勘違いや幻聴でなければ、二つの楽器のそれぞれの音程の「差音」(二つの音の周波数の「差」)*2がきこえていたのだと思う。
 
そしてどこから発生しているか指さすことのできないこれらの低い響きは、片方の楽器の音が抜けた瞬間に消える。その瞬間、音が透きとおって響く。
 
ここで、差音を意識的に認知できるかどうかは重要ではないし、この差音の効果を作者が意図しているのかも分からない。しかし、この効果は、無意識の中で、ききての印象に対してなにか影響をあたえているかもしれない。
 
私は以上のように、この作品を成り立たせているシステムや音の物理現象を中心に捉えてこれを書いてみた。しかし、本エントリーを読み、Wandelweiser楽派に興味をもたれることがあれば、以上の事をいったんは忘れ、先入観なしにこの楽派の作品をきいてみてもらいたい。以上のことはもしかしたらききかたの参考にはなるのかもしれないが、他人のききかたを縛ることはあってはならないと考えている。それは、この文章に限ったことではない。まずは、自分なりに捉え、それから他人の捉え方と、照らし合わせてみること。同じ音をきいても、同じように鼓膜に響くとは限らず、同じように脳内で処理されるとは限らず、同じように感じられるとは当然限らない。
 
ところで、杉本拓のこの作品を7人編成に拡張したと思われる(思われる、というのは、これも特に確認を取った訳ではないため)『Septet』というCDが近日リリースされる。さらに、11/22に六本木Super Deluxで開催されるFtarri Fes(2日目)でもこの『Septet』が演奏されるそうだ。

*1:とはいえ、単純計算で楽器の組み合わせは15通り。それに、各楽器の音程の組合わせと、音の入る/消えるタイミングを考慮すれば、パターンは果てしなく多い

*2:周波数A Hzの音と周波数B Hzの音をかけあわせると、加音(A+B Hz)と差音(A-B Hz)が生じる。これは高校数学で習う、三角関数の積和の公式で理解できる。この原理はリング・モジュレーションといわれる技術で使用され、電気的に加音と差音を生じさせることができる。また、電気的な処理を行わない場合、人間の耳には加音はあまりきこえず差音の方がとらえやすいといわれている