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Ricardo Moyano x 笹久保伸

2015/2/7 Ricardo Moyano x 笹久保伸 Guests : Miho & Diego Duo 、5歳くらいの女の子 @三軒茶屋 KEN

ペルーでアンデス音楽を学び、現在は埼玉で秩父前衛派として活動しているギタリスト笹久保伸と、アルゼンチン出身のギタリストRicardo Moyanoのコンサートへ。リカルドさんについての前知識は全くなかったのですが、笹久保さんが最も影響を受けたギタリストの中の一人とのことで、熱のこもった告知をツイッターで確認し、気になって向かいました。満員御礼の会場の中、1stセットは、前半を笹久保さん、後半をリカルドさんが別々にソロを演奏。2ndセットから共演が始まりました。以下、リカルドさんのソロから書いていきたいと思います。


リカルドさんのソロがいざ始まり、ギターでシンプルなイントロを奏でる中、静まり返った地下会場には遠くから救急車のサイレンがかすかにこぼれました。演奏の邪魔になるほどではない静かな音量です。すると、リカルドさんはサイレンの音に歩みより、この音を演奏の一部に溶け込ませるように共演してみせました。あからさまにサイレンの音に合わせた場合、客席から笑い声が生じることも十分にありえたと思いますが、気が付かない人もいたかもしれないほどのサイレンの小さな音量と、それに対してさりげなく共演してみせることで、そうなることはありませんでした。静寂の中、耳を繊細に澄ましながら、柔軟にユーモアを発揮してしまう姿を目の当たりに出来たこの瞬間は、演奏開始直後ではありますが、このギタリストはただ者ではないと確信するのに、ささやかかつ十分なハプニングでした。



リカルドさんは簡単な曲紹介をしながら、アルゼンチン、ブラジル、コロンビア、メキシコ、プエルトリコ、そして、現在在住しているトルコ(ロシア経由での来日だとか)の楽曲を演奏していき、寡聞にして私にとっては一曲を除いて聞いた事のないレパートリーでしたが、どの楽曲もきっと現地のスタンダードな歌謡だったり民謡なのではないかと思います。南米の各国からカリブ、そして中東へ旅をするかの演奏であると同時に、1本のギターによって各国の景色が連続して結ばれていくようでした。



この印象は、リカルドさんのリズムアプローチからもう少し具体的に読み解けると感じました。リカルドさんの演奏は各地のリズムがともに溶け込んでいるかのようだったのです。そのリズムは、ラテンのクラーベを基調としつつも、均質なパルスの上に刻まれるというよりかは、演奏の呼吸に合わせて自然な緩急がつけられるうちにへんげしていくようでした。たとえば、3+3+2(=8)の不均等なクラーベのリズムが均等な三拍子に融け込みそうなリズムがあれば、3拍子の中に4拍子を刻んだりとアフリカのポリリズムのようになったり、不均等な5音のフレーズがモーフィングして均等な5拍子に限りなく近くなったりすることがあると感じました。また、トルコの楽曲については、2+2+3+2+3+2(=14)の7拍子と、南米とは異なり、長短のリズムを交互に積んでいく変拍子的なリズム形式で演奏されていました。


リカルドさんのギターは、実際に楽曲として演奏された南米、カリブ、中東のリズムに加えて、それらの音楽と歴史上接触のあるアフリカや欧米のリズムが、一本のギターの呼吸の中に溶け込んでいるかのように響いており、リズムというものは、各地で独自にスタイルが形成されながらも、文化の接触の中で相互に影響を受けあい、伝播していくものだと強く感じました。


音色について。笹久保さんのギターは、明るく、力強く、若さを感じる響きであるのに対して、ラッカー塗装が若干剥げているリカルドさんのギターの音色は、年季と同時に円熟さを感じる響きでした。


また、笹久保さんの演奏は、素早いアルペジオやトリルのなかに土着のメロディーが浮かび上がり、その中で奏でられるベースラインはメロディと一体化するようなのに対して、リカルドさんのギターはメロディと、伴奏、ベースラインが綺麗に分離していると同時に、これら3要素が統合されているように響いていると感じました。この違いは、笹久保さんの演奏楽曲が比較的古いアンデスの土着の音楽なのに対して、リカルドさんの演奏する楽曲は、もう少し近代の、通奏低音と和声と旋律で構成されるバロック以降の西洋音楽の影響を受けている度合いが高いからなのではないか、と印象をもったりしました。



ギター一本から奏でられているとは信じがたいリカルドさんの演奏は、例えば20世紀初頭の伝説的ブルースギタリスト、ロバート・ジョンソンにも感じることができますが、リカルドさんのギターは、それよりも、ラテン化、超絶技巧化されているようです。また、ロバート・ジョンソンのソロギターは、アフリカのポリリズム的要素と同時に、自由に一拍伸縮したりする変拍子的要素もありますが、これは無自覚に演奏されたものであり、アフリカと中東のリズムが融合したとははっきりといえるものではなく、偶然の産物だといえます。それに対して、リカルドさんの演奏は、各国の音楽を学び、それぞれのリズムが体に染み込んだうえで、自然と各国のリズムが一体化しているように感じました。


そのほかには、ギターの3弦目を指板の外にひっかけて、プリペアド風のパーカッシブなアプローチと同時にメロディを奏でる演奏も白眉でした。


2ndセットから、笹久保さんとの共演がはじまりました。リカルドさん曰く、「練習すると本番でやるきがなくなってしまう」そうで、ハプニングを大事にしたいとのことです。このため事前に2人で演奏する曲のリハーサルや打ち合わせはしなかったようです。その中には、5歳ほどの小さな女の子(主催者の関係者の娘さん?)を招き、民謡を歌う中で2人がバックを務める演奏がありました。決して上手な歌とはいえないけれども、会場は暖かい眼差しに包まれ、微笑ましい演奏でした。


また、これも直前に決まったらしいのですが、ちょうどアメリカから来日しているコロンビア人男性と日本人女性のMiho & Diego Duoも最後のセッションに加わり、笛(ケーナ)と太鼓が加わった演奏を行いました。


笹久保さん、リカルドさんのソロ、デュオ、Miho & Diego Duoとのセッションを含め、どの曲についても聞いたことがないものだったため、どこまでが作曲されたパートで、どこまでが即興かは判断がつきにくかったです。けれども、演奏は譜面なしで行われ、楽曲は手、身体の記憶の中に刻まれ、その時その時の演奏の呼吸に応じて、メロディー、リズム、伴奏が変化しているに違いないと思わせる演奏でした。その即興の在り方は、ジャズのような半音階と自己を強調したソロではなくて、楽曲の延長線上で自由自在にその場でアンサンブルアレンジされているかのようです。


また、その場での柔軟なセッションを可能にするのは、西洋音楽平均律とコード進行のフォーマットを用いた楽曲が共有されることで実現されているといえるでしょう。この点では北米での(バロック以降の)西洋音楽と黒人音楽が融合したジャズのように、南米においてもジャズとは別の形で、西洋音楽と、奴隷として連れられた黒人と、土着の音楽が溶け込まれている。そして、現代にかけて、西洋音楽のフォーマットを用いて、即興を交えながら各文化圏の交流がなされているいえるのだな、例えば今回のように、とか考えたりしました。



アルゼンチンで生まれたのち、亡命し、スペインとフランスでクラシック音楽を学んだあと、アルゼンチンへ帰郷し南米音楽に傾倒し、そして、現在はトルコへ移住している複雑なバックグラウンドがそのまま豊潤な音楽性へと結びついているようにリカルドさんのギターは響いています。そして、彼の音からは、歴史を背負うおもみと同時に、そのおもみを跳ね除けてしまうかのようなユーモアも感じます。楽しそうにギターを弾き、共演する姿にその人柄は十分に透けて見えました。かすかなサイレンの音を演奏に溶け込ませるかのような繊細なユーモアをもって、リカルドさんのギターは、南米の、カリブの、トルコの、アフリカの、欧米のそれぞれの音楽を一つに結び付けるかのように響いています。
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