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『フロリダ・プロジェクト』真夏に溶けるソフトクリーム

道端の人に買ってもらった一つのコーンのソフトクリームを子供3人でシェアしながら舐め合う姿が印象的。

子供たちにとって、甘い食べ物はご馳走である。めちゃめちゃ美味しそうに、ベトベトになりながら食べる姿の愛らしいこと。
子供たちは、ちょっとしたことに幸福をみつける天才なのだ。
近所の探索は、子供たちにとって大冒険であり、近くのディズニーワールドにも負けないアトラクションにもなりえる。
楽しそうにはしゃぎ、遊び、悪戯に走って大人達を困らせる子供達から、貧しさの苦難よりも生活の楽しさを感じとれるのは、この映画が基本的に子供の視点から描写されているからである。
しかし、無邪気な子供の姿は本当に救いなのか?と問われれば、未来のことを考えると厳しいのが現実だ。

映画では描かれることなく終わるが、子供たちのふざけた遊びも成長のうちにできなくなるし、アイスクリームを他人から買ってもらい、友達と舐めあうことができるのもせいぜい低学年までだ。
それに、あの状況のまま子供たちが成長できたとしても、彼らもまた、親が直面している問題に再び立ち向かうことになるに違いない。時に幼児的にはしゃいだり、怒ったりする母の姿には、将来のあの女の子の姿と貧困の連鎖が映っている。

ソフトクリームの冷たい刺激と甘さは、フロリダの炎天下の中で束の間の喜びを与えるが、それは一時的に暑さをしのぐだけで、その甘さは喉を乾かしもする。
ディズニーワールド近郊の観光地のモーテルを賃貸がわりに月1000ドルで暮らす彼らのギリギリの生活は、結局、真夏のソフトクリームのようにすぐに溶けて崩れ落ちてしまうほど脆い。

ところで、子供たちがソフトクリームを舐めあうシーンが、性的な意味合いを全く感じさせないように描かれていたように、この映画において大人の性的な描写を避けつつも、間接的にそれを描く演出は見事である。この演出で観客がみることができるのは、子供の性の目覚め前の光景となっているのだ。

同時に、そのシーンで流れる音楽は母親のスマホから流れる最新のヒップホップなのである。(私の記憶では、この母親のスマホからのヒップホップのみが、この映画で流れる音楽だったと思うが勘違いかもしれない)
流石にリリックまでは把握してないが、主に金とセックスと差別についてのヒップホップ(もちろん例外も沢山あるだろう)が彼女にとってアクチュアルな音楽という点で、甲府と同じように、フロリダでの『サウダーヂ』(富田克也監督)を感じさせる。

または、貧困の子供の生活という点において、この映画を『誰も知らない』(是枝裕和監督)になぞらえることも出来るが、あの映画のように、高円寺で人知れず兄弟姉妹だけの閉鎖空間に暮らすというわけではなく、ここには観光地付近に暮らす人々の貧困コミュニティがある。
ママ友のお裾分け、お隣さんの子供の面倒、管理人のトラブル対応、、、この映画の登場人物は、みんな口が悪いが、貧しい中で持ちつ持たれつの関係を維持するための良心を持ち合わせており、それが非常に美しい。
しかし、それでもどうにもならないこともあるのだ。

(ちゃんと調べてないが)、この映画の大半は実際のフロリダのディズニーワールド近郊でロケが行われているように見受けられ、非常にドキュメント的に作られている。
その面でも是枝の作品や、その他では、リスボンのスラム街を描いたペドロ・コスタ監督の諸作(『ヴァンダの部屋』『コロッサル・ユース』『ホース・マネー』)とも呼応していると同時に対照的な面もある。
コスタの作品では、荒廃しきったリスボンのスラム街における未来も希望もない大人の生活が描かれるが、フロリダの真夏の太陽に照らされたきらびやかであざやかな観光地で暮らし、遊ぶ子供にはまだ未来も希望もあるのだ。
もちろん、きらびやかであざやかにみえるのは、子供のうちにすぎない。この映画で描かれるのは希望の兆しが残っている子供からみた光景なのだ。

最後に向かう夢と希望の国は、あの子にとって、純粋な子供として最後に遊んだアドベンチャーになったのだと信じるほかない。

 

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