メモ/ランダム

memorandum || (memory / random)

『眠る虫』 目に光る記憶 / 記憶をきくこと

 

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私たちは眠っている間に夢をみる。
その夢は、私たちが起きている間にみてきた過去の記憶を、編集して再生した私的な映画。

人の目はレンズで、耳はマイク、そして脳を記憶装置(フィルム、メモリ)とみなせば、人は「カメラ」であるといえる。
起きている間、人はカメラとなって撮影しているのだ。
反対に、眠っている間は、撮影を休むかわりに、映像を編集し、再生している。
人はからだの中に、編集機と再生機(プレイヤー)と投射機(プロジェクター)も持っていて、眠っている間にその電源が入り、そのときにみえるものが夢なのだ。夢は、まぶたの裏に投射された記憶の光。

と考えると、目が光る、という事は、何もおかしなことではない。目が光っている時、その人は、夢=その人の映画を再生している、と思えばいいのだから。

人は、寝ても覚めても、自分だけのカメラで世界を捉えているし、自分で世界を再生している。
(再生とは、再び生きるということ、と誰かが言っていたような気がする)

バスに乗っている時でも電車に乗っている時でもなんでもいいけれど、私たちの身の回りでは、全くの赤の他人が、それぞれの人生を生きていて、その誰かは、何かをみていたり、きいていたり、そして、考えたりしている。
でも、他人のそれを、赤の他人の自分が知ることはない。私たちは、自分のみえるもの、自分のきこえるものしか、感受できないから
でもそれは、裏返せば、自分にしかみえないものをみて、きこえないものをきくことができるということ。そして、それを自分の身体で再生できるということだ。

そして、それは希望と絶望の両方に繋がっている。この映画では、その絶望も少し描かれていた。それは自分の声しかきかない人のことだった。

でも、周りの誰かはいつも何かを発していて、そこに微かに残った気配は、かつてその人が再生した夢。それを察知し、追いかけることができることが、希望であると、この映画は話しているようだった。というよりも、それとなく歌っているようでもあった。


2020 10/27 ポレポレ東中野