最近、黄金町から移転した日ノ出町試聴室その3へ。
そこは横浜市街地の風俗街から若干外れた通りの建物の二階にある。
入り口からすぐに登れる階段は洋風の木張りになっている。
この時点で昭和の頃に建てられたと思われる雰囲気を醸し出しているが、階段を登って室内に入るとさらに雰囲気抜群。
床、壁、天井の木目、壁にところどころ貼られた大きな鏡、長いバーカウンター、木の椅子、古いトイレ、そこにある全てのものが、シックでレトロだ。
聞いたところによると元々、社交ダンス教室として使われていた空間らしい。
今回の出演者は毛玉1/2、夕も屋、mayu&平本圭治の2人編成が3組。
毛玉1/2とは、僕を含めた現状4人組の毛玉のうち、黒澤、露木の2人編成のアコースティック版だ。
ちなみに、某漫画のように、お湯をかけられると女性、パンダ、子豚などになる、ということはありません(あるほうが凄い)。
今回は自分の出番はないけれど、移転した後の試聴室に来たかったのと、毛玉の2人の様子をみたかったのと、最近アルバムを出したという対バンの夕も屋さんをもう一度みたくて来てみた。
(以下、今回メインに書くのは夕も屋さんとなった)
夕も屋さんは、去年の秋に下北沢モナレコードで対バンしてはじめてきいた時にとても印象に残っている。
男女の弾き語りのデュオで、女性がピアノ・ボーカル、男性がベースとギターを持ち替えながらコーラスもする。
その音楽の感じを飲み物で例えると、清涼感がありつつも、喉ごしが所々こしょばい感じがする。
時々、(あれ?)と戸惑うような味わいもある。
でも、飲んだ後はほんわかとした暖かさが残るよう。
去年のこの日、同じく対バンのyoji & his ghost bandの青野さんと「みててキュンキュンしますよね」などと、2人で夕も屋の感想を話し合っていたのだが、青野さんとは他に関西トークをしすぎたせいで本人達に伝えるタイミングを逃してしまった。
ちなみに、キュンキュンする、という表現は2人の音楽にマッチしてるな、と思うと同時に、いかにもといった男女の胸キュンソング、ラブソングといった感じではなくて。
人と人とのすれ違いの儚さが、2人が淡々と奏でる音の音のあいだにあらわれているようにきこえるのだ。
2人の演奏の息は全くあっていないというわけではないけれど、曲の途中でテンポが揺らいだり、2人の間でズレが生じたりする。
とくに、彼のベースは、普通に彼女の呼吸に合わせていると思いきや、ところどころリズムとかフレーズがつまづいたり、もつれたりして、かみ合わない。
(…あれ…?今のタイミング…何…?!)
(さっきのフレーズ、ちょっと音がずれてる…?!)
となる瞬間が時々あり、それにつられて彼女の方も揺らいでいき、少し危なっかしい。
このように、演奏が散りゆきそうになる時もありながら、それでも曲は進んでいった。
僕がその時驚いたのは、そのズレは下手だな〜とか、ヘタウマという印象を通り越して、2人の音楽にとって不可欠な表現に感じられたということだ。
2人は演奏しながらも、そこに浮かび立つ風景の中で風を感じている。
そして、時々吹いてはやみゆく風につられ、音がなびいているよう。
今回のライブでは前回使用してなかったメトロノームを、シンプルにピッピッと鳴らしながら曲の半分ほどを演奏していた。
以前の演奏で感じた、風が強めに吹いた時に今にも散りそうになりながらも、なんとか耐えていたような姿に対して、一定のリズムの上では、吹く風に少しよろめきながらも、風に身をゆだねられているように感じた。
と例えてみたものの、以前きいた2人らしさは全く失われていない。
ちなみに、MCが微笑ましく、ほんのりとブラックさもあり面白かった。
それについては長くなるので割愛しておいて、最後の曲の前にベースの彼がチューニング変更中で演奏までの間が出来た時、彼女の中では今日のMCネタが尽きてしまったようだ。
ベースのチューニングの音と、次の曲のためのメトロノームの音が静かに鳴りながら、1分ほど小声で「うーん………うーん………」と、それらのリズムに微妙に合わないように何度も唸った挙句、ようやく、
「あ!そうだ!さんま食べたいですね…!」
「………もう秋ですよね………でもまだ夏は諦めてないですよ…!」
とのこと。
この発言から感じたものは、夕も屋の音楽から受ける印象そのものとなんら変わらなかった。
終わったあと、お二人とお話しできた。
「もうさんま食べましたか?(塩焼きの)」
と聞かれたので、ちょうど最近、すき家でさんま牛を食べたことを話したり。
このさんまは塩焼きではなく蒲焼なのだが、それをほぐしながら、ついてくる大根おろしと牛丼をごっちゃに混ぜご飯ぽくすると(一見まずそうだけど案外)美味しかった、とか。
(ちなみにもう少し前に食べたうな牛という食べ物は、もっとピンとこない食べ物だったのだが、この時も混ぜご飯にすれば印象は違っていたかもしれない)
ほかに話した中で、
「習字やってますか?」
「え?やってないですよ。中学以来。」
「…ならいいです。」
と言われたのは一体なんだったんだろう(笑)。
(ちなみに僕は字がきれいとはいいがたい)
アルバムを購入し、今ききながら書いている。
クレジットをみると、その中の2曲はゲストが参加しているものの、ほかは自分たちで演奏したのだろうか。
少しおぼつかない打楽器、ピアニカ、コーラス、控えめに歪んだギターのメロディ(束の間のレディオヘッドのパラノイドアンドロイドの引用)、その他効果音、駅や街頭、自然音などのフィールドレコーディングの重なり。
それら全てが、2人の音楽になくてはならない音として響いている。
かつてみた、ある季節の風景。
夕靄(ゆうもや)のように、風に吹かれては日が沈むにつれて消えゆきそうなそれらの記憶。
相手に迷惑をかけないほどの多少の自分勝手さは、子供の頃からかわりのないユーモアと遊び心。
人とあまりうまく接することのできない不器用さ。
相手に近づこうとしても、なぜか離れてしまい、また近づこうと歩んでゆく姿。
それでも、そのうち、いつの間にか重なりあうピース。
夕も屋の2人が音で描く響きからはそういった光景が思い浮かぶ。
(他の2組についても書きたかったけれど、またの機会に)