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アントニオ・ロウレイロと挾間美帆 次世代の新たな才能  −ラテン音楽とジャズの共犯関係

  • Introduction

去年の年末にアントニオ・ロウレイロの2ndアルバム「So」と、挾間美帆のデビューアルバム「Journey to Journey」にほぼ同時に出会った。かたやブラジルのミナス地方の86年生まれの若手音楽家の壮大なソロ作品。かたや日本の音楽大学卒業後にアメリカの音楽大学へ留学し、在籍時にメンバーを集めて製作した86年生まれの女性作曲家によるジャズオーケストラ作品である。僕は二人の新しく瑞々しい才能に圧倒されたと同時に、両作品があわせもつシンクロニシティに驚いた。2012年末の同時期に同年代の音楽家が与えてくれた衝撃。はじめて両作品を聞き終わった時、それらの音楽内容にはいくつもの共通するものがあると直感した。そして、夢中になって聴きつづけているうちに少しずつ何かが見えてきたように思えてきたので、今回このように文章でまとめてみようとブログを開設してみた。
それでは、僕が感じたシンクロニシティを箇条書きにすると以下の4点にまとめることが出来る。

1:リズムを捉える解像度が高い
2:アコースティック楽器を基調とするラージアンサンブル
3:複数の楽器が奏でるリズムが同期しながらポリリズミックに複層的に堆積している
4:アンサンブルのコンポジション(作曲)が、複雑なのに圧倒的にポップに表現されている(なのでジャズ好き、ブラジル音楽好きに関わらず、多くの人に気に入ってもらえる作品だと思う)


1の解像度の高いリズム感はここ20年ほどのコンテンポラリージャズ界の音楽家にとって必須の能力である。それはジャズの歴史における、ラテン音楽(ブラジル、キューバプエルトリコ、メキシコ音楽など*1)、そしてそれら全ての音楽のルーツとなるアフリカ音楽との関わりの中で発達してきたものだといえる。40年代にキューバ音楽、そして60年代にブラジルのボサノバはジャズに豊かなリズムのバリエーションをもたらした。そして、60年代末に誕生するジャズミュージシャンが生み出したフュージョンと呼ばれる音楽も、ロックとファンクと同時にラテン音楽の影響を大きく受けている*2
ジャズとラテン音楽は歴史上常に共犯関係にあるのだ。この共犯関係が継続されてきたからこそ、アメリカのジャズにおいてリズムの細分化が進んだのだといえるだろう。そしてさらにその成果がルーツとなる地へフィードバックされ続けたことで、Milton Nascimentに続いて、現代において再びブラジルのミナス地方からネクストレベルの音楽が誕生したのだと考えてもいいのかもしれない。

  • コンテンポラリージャズのリズムの実験

ロウレイロと挾間の話題をするうえで、もう少しリズムの話題を続けていきたい。細分化された解像度の高いリズムを用いたコンポジションは、コンテンポラリージャズの創作上で様々な音楽家によって実験がなされてきた。より具体的に説明するならば、それは微分的リズム(アフロポリリズム=複数の拍子の同居)と、積分的リズム(変拍子)をいかに同時に成り立たせながら作曲とアドリブを行うのか?という実験である。しかし、それは主にコンボの小編成の演奏でなされていたものが数を占めていた(それと比較し数少ないと思われるラージアンサンブルの例は後述する)。コンテンポラリージャズのテーマの内の一つは「複雑なリズムコンポジション上でいかにアドリブを行うのか?」という事なのである。
たとえばここでHerbie Hancockに可愛がれ、最近では巷で大人気のRobert Glasperとの交流もあるアフリカ人ギタリストLionel Louekeトリオの演奏を聞いてみよう。この曲は6+7の13拍子の変拍子とみなせるが、テーマ後のアドリブ部ではそれと同時にポリリズムも発生している。具体的には1:41からギターソロが開始するとき、ベースが13拍子を2倍に細分化した26のビットマップを、9に分割(厳密には3連符×8回+2連符×1回=26)して演奏することで、13拍子との関係の中でポリリズムが生じているのだ。更に演奏全体を通して聞くと、ギター、ベース、ドラムの三人は、その26のビットマップを共有しながら、自由自在にアクセントのポイントを変化させ複層的にリズムを重ねていること、特にLionel Louekeのリズム感覚は驚異的であることが分かるだろう。アフリカ人だからこそ、という事はあるにしてもここまでのリズム感を持つ音楽家はなかなかいないと思う。

また、シンクロニシティ1と3に関して、ポリリズミックな大編成バンドといえば、昨今を代表するものでは菊地成孔氏主宰のDCPRG*3があるじゃないかと思われるかもしれない。しかし、ロウレイロと挟間の作品とDCPRGが異なるのは、DCPRGではほぼリズムしかコンポジションを行っておらず、メロディと和声のコンポジションが行われていない点にある。DCPRGポリリズムファンクバンドであり、そのコンポーズされたポリリズム上でいかにアドリブを行い*4、フロアをトランスさせながら躍らせるのか?という事が主なテーマとなっているのだ。
DCPRGの複層的リズムをまとめるならば、主に
・3と4(Playmait at hanoi)
・4と5(構造1)
・4と7(Circle Line)
の2つの拍子が同居したポリリズム*5、または、基礎ビットマップを共有しない恣意的でカオティックなポリリズム(Catch22)になる。

  • ロウレイロと挾間の音楽の革新性と音楽教育

前置きが長くなってしまったが、それでは、ロウレイロと挟間の作品の何が新しいのか?という問いに答えるならば、それは複層的にリズムを織りまぜたコンポジションから産まれ出されるアンサンブルの、その圧倒的なポップ性という事になる。両作品の、変幻自在な変拍子上で複層的にリズムを編み出しながら構築・展開されていくその流麗なアンサンブルの響きは、全く新しいものだと僕は感じている。

元々アフリカ音楽のポリリズムは打楽器のアンサンブルによって演奏されたものであり、James Brownが発明したファンクの細分化された16ビートも和声が停滞すること(コードが一発)で生まれたものであった。しかしロウレイロと挾間の音楽では、そのポリリズムや細分化された変拍子のリズムの民族性の上で、西洋音楽発の和声進行を伴うアンサンブルが組み上げられているのである。

この複雑なリズムのコンポジションを可能にしたものは、単なる個人の才能のみではなく、両者とも正規な音楽教育を受けてきた事と大きな関係があるだろう。日本とアメリカの音楽大学で教育を受けた挟間のこの作品はアメリカの音楽大学でメンバーを募って製作されたものだ。今やアメリカでは、ジャズとは昔のように現場だけでなく、学校で教育を受け、その後指導するものとなっており、上記のリズム(微分的、積分的リズム=ポリリズム変拍子)の研究と創作が多くなされているのだ。きっと挟間はそこで様々なリズムを用いた作曲を学んできたのだろう。

また、幼いころから様々な楽器を操りミナスの大学で音楽を専攻したロウレイロの作品も、大学で多才な仲間たちとともにずっと音楽を製作してきた成果の結晶となって産み出されたものだ。これはミナスには歴史的に豊穣な音楽の土壌があるのに加えて、流通やインターネットを通して、リアルタイムにアメリカのコンテンポラリージャズや世界の音楽に触れ大学の仲間たちとともに消化してきた結果なのだろう。実際、インタビュー*6によるとロウレイロはKeith JarrettBrad Mehldau、The Bad Plusといった昨今のジャズミュージシャンや、クラシックで変拍子を多用したストラビンスキー、さらにアフリカ音楽など、様々な世界の音楽の影響を受けたようだ。もちろん流通とインターネットさえあれば、日本でもどこでも世界中の音楽を聴くことは可能ではある。しかし、ラテン音楽とジャズは共犯関係にあるからこそ、ミナスの彼らはアメリカのコンテンポラリージャズを自らの土着の音楽の中へ独自に咀嚼・消化・成長させることができたのだろう。
ロウレイロのリズム感覚についてここで説明すると、2ndアルバムSoの一曲目の導入部は、4/16と5/16拍子を組み合わせた、細分化された怒涛の変拍子*7であると同時に、メロディーとベースラインの拍の取り方の解釈が多様にできるのである*8。これも細分化された変拍子ポリリズムが同時に成立したリズムだといえるだろう。

  • 次世代のアコースティックアンサンブル

もちろん、ジャズの歴史の上でロウレイロや挟間の前にも、細分化されたリズムを用いたラージアンサンブルのバンドはあった。しかし、00年代半ば以降にこれといった作品はあまり出ていないのではないかと思う*9。たとえば、ジャズフュージョンとブラジル音楽を融合させ、細分化されたリズムを用いながらギターとシンセサイザーによるオーケストレーションをポップにコンポジションしたバンドとしてPat Metheny Group(PMG)がある。いうまでもなく世界最高峰の技術を持つミュージシャンが集った、世界的に成功したバンドである。しかしPMGは2005年のThe Way Upにおいて、白人側からのジャズ・フュージョン史への一つの総決算的な回答をした後に新作を出すことができない状態になった*10。ここから予想するに、ギターとシンセサイザーを用いたラージアンサンブルはPat MethenyLyle Maysの中ではひとまず区切りがついてしまったのだろう。
正直に言えば、僕は2008年前後からアメリカのコンテンポラリージャズを追うのをほとんどやめてしまっていた。今振り返ると、その原因の一つには、Wayne Shorter*11の活動がカルテットのみになり、PMGが総決算的な作品を出し、Michael Brecker*12白血病で若くして死んでしまった後に、トレンドとなるようなラージアンサンブルの作品がなかなか生まれてこなかったことがあるように思える。
その中で、2012年末に両作品のアコースティック楽器を基調にした次世代の音楽の響きを聴いて、僕はアコースティック音楽の可能性がまだまだ失われていないことに興奮したのだった。
彼・彼女らの音楽は80年代のWynton Marsalisによるアコースティックジャズ(モダン)への回帰とは全く異なった、次世代による革新的なアコースティックアンサンブルなのだ。

  • 二人の今後

アントニオ・ロウレイロはこの夏日本に来日し、鈴木正人(ベース)、芳垣安洋(ドラム)、佐藤芳明(アコーディオン)と共演するようだ*13。東京のジャズシーンを中心に幅広く活躍しているこの三人との共演は楽しみである。また、さらに9月にはNYの若手有望株ギタリストMike Morenoと共演するらしい*14。70年代におけるMiltonとHerbie HancockWayne Shorterの共演のような出会いが再び起こるのは、両者の音楽の親和性から考えると必然だろう。そう、きっとそれは必然であり、これからきっと何かが起きるに違いないと僕は期待したくなってしまっている。
挟間美帆に関しては、僕は今年の1月にジャズ作曲家宣言と題された東京オペラシティー・コンサートホールでの東京フィルハーモニー交響楽団山下洋輔による彼女がコンポジションした楽曲の演奏を聞き、これ以上ないほどの衝撃を受けた。既に巨匠の風格さえあるようなコンポジションであった。作曲家としての活動は演奏家としての活動と異なるため、予想はしにくいが、今後彼女がどのような活動を繰り広げるか大変楽しみである。

ソー

ソー

ジャーニー・トゥ・ジャーニー

ジャーニー・トゥ・ジャーニー

*1:日本においてラテン音楽は一括りでみなされることが多いが、アメリカ以南のカリブの島々の音楽と、南アメリカ大陸各国の音楽の多様性については本来慎重に区別されるべきである

*2:プログレッシブロック、クラシック(現代音楽)、ミニマル音楽のリズムとの関係もあるのであろうがここではおいておく

*3:ここでは菊地氏の別バンド、ペペトルメントアスカラールについては言及しない

*4:よってこの面ではアメリカのコンテンポラリージャズと同じである

*5:しかし再結成後の新ドラマーの田中氏はそれらの曲にもう一つの新たな拍子を加えている時があるように僕はライブで感じた

*6:Latina 2013年1月号

*7:変拍子というと4分音符単位や8分音符を足し引きしたものが多いが、昨今のコンテンポラリージャズにおいては更に細分化し、16分音符を足し引きした変拍子が多用されている

*8:もう少し詳細に説明すると、0:00から示されるピアノが奏でるメロディとベースラインの2つのリズムの関係だけで既に複層的なのだが、そのフレーズが再び7:33からパーカッションが加わりながら繰り返されるときに、より複層的になっている

*9:Maria SchneiderDjango Batesなどの素晴らしい作品はあるが(といっても不勉強ながら僕はMariaの音楽は噂ばかりを聞くのみで未聴です。ごめんなさい)、やはり大編成バンドの運営の困難さからしても、数は少ないのではないだろうか。何かお勧めがあれば是非教えていただきたい

*10:現に、定期的にリリースされてきたアルバムが2005年以降沈黙状態となっている

*11:95年の「High Life」、03年の「Alegria」はジャズ史に残るラージアンサンブル作品だと思う

*12:Michael Breckerはコンボスタイルで細分化リズムとメカニカル無調フレーズを追求したコンテンポラリージャズサクソフォン奏者の第一人者である。そのリズムスタイルを15人編成へと応用したバンドを結成してアルバムを03年に発表したが、その後白血病を発症し、闘病生活後07年に亡くなった

*13:http://www-shibuya.jp/schedule/1308/003962.html

*14:http://www.mikemoreno.com/shows.html#nav