170909 日ノ出町試聴室その3 / 夕も屋 『hana』

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最近、黄金町から移転した日ノ出町試聴室その3へ。

そこは横浜市街地の風俗街から若干外れた通りの建物の二階にある。
入り口からすぐに登れる階段は洋風の木張りになっている。
この時点で昭和の頃に建てられたと思われる雰囲気を醸し出しているが、階段を登って室内に入るとさらに雰囲気抜群。

床、壁、天井の木目、壁にところどころ貼られた大きな鏡、長いバーカウンター、木の椅子、古いトイレ、そこにある全てのものが、シックでレトロだ。

聞いたところによると元々、社交ダンス教室として使われていた空間らしい。

今回の出演者は毛玉1/2、夕も屋、mayu&平本圭治の2人編成が3組。

毛玉1/2とは、僕を含めた現状4人組の毛玉のうち、黒澤、露木の2人編成のアコースティック版だ。
ちなみに、某漫画のように、お湯をかけられると女性、パンダ、子豚などになる、ということはありません(あるほうが凄い)。

今回は自分の出番はないけれど、移転した後の試聴室に来たかったのと、毛玉の2人の様子をみたかったのと、最近アルバムを出したという対バンの夕も屋さんをもう一度みたくて来てみた。
(以下、今回メインに書くのは夕も屋さんとなった)

夕も屋さんは、去年の秋に下北沢モナレコードで対バンしてはじめてきいた時にとても印象に残っている。

男女の弾き語りのデュオで、女性がピアノ・ボーカル、男性がベースとギターを持ち替えながらコーラスもする。

その音楽の感じを飲み物で例えると、清涼感がありつつも、喉ごしが所々こしょばい感じがする。
時々、(あれ?)と戸惑うような味わいもある。
でも、飲んだ後はほんわかとした暖かさが残るよう。

去年のこの日、同じく対バンのyoji & his ghost bandの青野さんと「みててキュンキュンしますよね」などと、2人で夕も屋の感想を話し合っていたのだが、青野さんとは他に関西トークをしすぎたせいで本人達に伝えるタイミングを逃してしまった。

ちなみに、キュンキュンする、という表現は2人の音楽にマッチしてるな、と思うと同時に、いかにもといった男女の胸キュンソング、ラブソングといった感じではなくて。

人と人とのすれ違いの儚さが、2人が淡々と奏でる音の音のあいだにあらわれているようにきこえるのだ。

2人の演奏の息は全くあっていないというわけではないけれど、曲の途中でテンポが揺らいだり、2人の間でズレが生じたりする。

とくに、彼のベースは、普通に彼女の呼吸に合わせていると思いきや、ところどころリズムとかフレーズがつまづいたり、もつれたりして、かみ合わない。

(…あれ…?今のタイミング…何…?!)
(さっきのフレーズ、ちょっと音がずれてる…?!)

となる瞬間が時々あり、それにつられて彼女の方も揺らいでいき、少し危なっかしい。

このように、演奏が散りゆきそうになる時もありながら、それでも曲は進んでいった。

僕がその時驚いたのは、そのズレは下手だな〜とか、ヘタウマという印象を通り越して、2人の音楽にとって不可欠な表現に感じられたということだ。

2人は演奏しながらも、そこに浮かび立つ風景の中で風を感じている。
そして、時々吹いてはやみゆく風につられ、音がなびいているよう。

今回のライブでは前回使用してなかったメトロノームを、シンプルにピッピッと鳴らしながら曲の半分ほどを演奏していた。

以前の演奏で感じた、風が強めに吹いた時に今にも散りそうになりながらも、なんとか耐えていたような姿に対して、一定のリズムの上では、吹く風に少しよろめきながらも、風に身をゆだねられているように感じた。

と例えてみたものの、以前きいた2人らしさは全く失われていない。

ちなみに、MCが微笑ましく、ほんのりとブラックさもあり面白かった。

それについては長くなるので割愛しておいて、最後の曲の前にベースの彼がチューニング変更中で演奏までの間が出来た時、彼女の中では今日のMCネタが尽きてしまったようだ。

ベースのチューニングの音と、次の曲のためのメトロノームの音が静かに鳴りながら、1分ほど小声で「うーん………うーん………」と、それらのリズムに微妙に合わないように何度も唸った挙句、ようやく、

「あ!そうだ!さんま食べたいですね…!」

「………もう秋ですよね………でもまだ夏は諦めてないですよ…!」


とのこと。
この発言から感じたものは、夕も屋の音楽から受ける印象そのものとなんら変わらなかった。

終わったあと、お二人とお話しできた。

「もうさんま食べましたか?(塩焼きの)」

と聞かれたので、ちょうど最近、すき家でさんま牛を食べたことを話したり。

このさんまは塩焼きではなく蒲焼なのだが、それをほぐしながら、ついてくる大根おろしと牛丼をごっちゃに混ぜご飯ぽくすると(一見まずそうだけど案外)美味しかった、とか。
(ちなみにもう少し前に食べたうな牛という食べ物は、もっとピンとこない食べ物だったのだが、この時も混ぜご飯にすれば印象は違っていたかもしれない)

ほかに話した中で、

「習字やってますか?」
「え?やってないですよ。中学以来。」
「…ならいいです。」

と言われたのは一体なんだったんだろう(笑)。
(ちなみに僕は字がきれいとはいいがたい)


アルバムを購入し、今ききながら書いている。

クレジットをみると、その中の2曲はゲストが参加しているものの、ほかは自分たちで演奏したのだろうか。

少しおぼつかない打楽器、ピアニカ、コーラス、控えめに歪んだギターのメロディ(束の間のレディオヘッドのパラノイドアンドロイドの引用)、その他効果音、駅や街頭、自然音などのフィールドレコーディングの重なり。

それら全てが、2人の音楽になくてはならない音として響いている。


かつてみた、ある季節の風景。
夕靄(ゆうもや)のように、風に吹かれては日が沈むにつれて消えゆきそうなそれらの記憶。
相手に迷惑をかけないほどの多少の自分勝手さは、子供の頃からかわりのないユーモアと遊び心。
人とあまりうまく接することのできない不器用さ。
相手に近づこうとしても、なぜか離れてしまい、また近づこうと歩んでゆく姿。

それでも、そのうち、いつの間にか重なりあうピース。

夕も屋の2人が音で描く響きからはそういった光景が思い浮かぶ
 

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(他の2組についても書きたかったけれど、またの機会に)

札幌国際芸術祭2017 / おもいがけなく遭遇してしまうということ

○札幌国際芸術祭に行ってきた

音楽関係ではない自分の身の周りの人に、

「札幌の芸術祭に行く(行った)んですよ」というと、

「へー。芸術祭ですか。(格調高そうで難しそうですね。)」

というリアクションがまず返ってくる。

しかし、17/8/15-16の間に、僕が札幌国際芸術祭のいくつかの展示作品を体験するために札幌市街の様々な会場を巡るなかで思ったのはこうだ。

普段、音楽/アートに興味がない人や、音楽/アートに興味はあるが芸術祭はよくわからん、という人にこそ行ってもらいたいということ。

何よりも、難しいことを考えずに楽しめる作品もあるし、地元だったり、たまたま通りかかった人にも開かれているところもあるのがとても良い。

それに、実際にどの展示をみにいってもまず目にしたのは、子供づれの親子の多さだった。夏休み中ということもあってのことだろう。


○子供にとっての芸術祭
モエレ沼公園

例えば、会場の一つであるモエレ沼公園は元々、その広大な芝生と丘の敷地内で、遊びやスポーツが出来る場だ。

そこには、芸術祭とは関係なしに、多くの子供づれの家族が散歩したり遊んでいたりした。

そして、今回の芸術祭の展示として、公園の併設施設であるガラスのピラミッドに行けば、気軽に作品にも接することが出来る。

そこで無料で開放されている展示の(with) without recordsでは、沢山のレコードプレーヤーがそれぞれ勝手に動いたり止まったりする様子を、子供が興味深そうにみていた。


・札幌芸術の森美術館: クリスチャン・マークレー展

札幌芸術の森美術館のクリスチャン・マークレーの展示は、レコードや機械などの廃棄物が解体されゆく様子などを、映像や音の作品にし、それがある種のリサイクルだ!ということを示しているように感じた。

そこには、現代社会に対してなにかしらのメッセージを訴えるという真面目さもある程度あるのかもしれないが、展示全体の雰囲気から感じるのは、ユーモラスさや絶妙な馬鹿さ加減であって、これも子供が面白がれそうな内容だった。

どちらかというと男の子っぽさなのだとは思うが、子供の遊び心の延長のような感覚がある。

 

・札幌芸術の森工芸館: ∈Y∋ 《ドッカイドー/・海・》

芸術の森内の∈Y∋(山塚アイ)の作品は、本来は広い暗闇の部屋で、まるで自分が銀河に浮かんでいるかのようなマットの上で、静かなアンビエント音楽をききながら瞑想的な感覚にさせるような作品である…はずのものだった。

しかし、自分が体験した回では子連れが多く、お化け屋敷的な感覚で子供達がきゃっきゃっと楽しんでいる瞬間もあった。これについては後にもう少し詳しく書く。


札幌市立大学: 毛利悠子《そよぎ またはエコー》
・金市舘ビル: 梅田哲也 《わからないものたち》

または、梅田哲也、毛利悠子の2人の作品に共通する特徴をあげてみると、それらはどちらとも、展示空間に点在している様々な装置の前を通り過ぎる中で、それまで止まっていた装置がいきなり動き出したり、装置に近づくと実は静かに音が鳴っていることに気づかされる、といった点がある。

そこには、「なんだろうこれ?」と、その人の足を止まらせてしまうような、大人/子供を問わず、好奇心をくすぐらせる仕組みがある。


○作品理解の難しさ

しかし、同時に難点だなと思ったのは、装置は常に動いているわけではないので、後になって装置が動き出すのに気が付かずに、なんとなく通り過ぎて帰ってしまう人が多いということだった。割とそういう瞬間を目撃してしまった。

・札幌芸術の森美術館: 鈴木昭男《き い て る》

ほかに分かりにくい、と感じたのは鈴木昭男の作品だった。例えば芸術の森美術館の作品《き い て る》は、石が敷き詰められた庭のような場に、10個くらいの丸く白い台が点在され、その上に人が立って、そこできこえてくる外の音に耳をそばたてる、というものだ。

しかし、この作品は、子供/大人に関わらず、配布用の解説を読んだ上で、その意図を理解し、鑑賞者が耳を澄ましてきくという、自主性を発揮しないと作品が成立しないのでは?と思ったし、実際にこの場に足を踏み入れている人を自分はみる機会がなかった。

子供にどう作品と向かい合えばいいか親が教えてあげる、というのも自分が親になった時は意識したいなあ。

(というか、子供に限らず一緒に鑑賞してる人に対しても意見を交換した方がいい。一人一人の体験で感じるものはそれぞれ違うはず)

例えばこの作品だと、

「ほら、この台の上に立って、耳を澄ましてごらん。風の音とか、虫の音とか、遠くの車の音とか、空調の回転音とか、色んな音がきこえるでしょ」

とひとこと言うだけで、子どもがみたり、きいていた世界がガラッと変わってしまうこともあるのではないか、と思ったりする。


○たまたまそばにいた人たちの、ささいな会話集

ところで、この芸術の森内で、たまたま前を歩いていた父娘の会話がきこえてきた(勝手にごめんなさい)。

女の子「さっきの大学の廊下のやつ(注:毛利悠子作品)面白かったね」

父「そうだね。とても綺麗だったね。ピアノが突然鳴ったりして」

女の子「あ!あの鳥、鳩かな」

父「うーん。鳩っぽいけどなんだろう。フランスだと、鳩とかうさぎを狩りでとって料理するんだよ」

女の子「えーかわいそう…」

 

・旧りんご倉庫: 梅田哲也《りんご》

または、札幌の落ち着いた町中にある木造の旧りんご倉庫で行われていた梅田哲也の展示にて。そこらへんで農作業か何かをしていたような近所のおじいちゃんとおばあちゃんがたまたま通りかかった。

おばあちゃん「最近ここでなにやってるの?」

ときき、係の人がもろもろ説明する。ちょっと騒がしくなった(全然気にはならない)。おばあさんが中を覗く。

おばあちゃん「あら、綺麗。不思議な世界。綺麗ね〜」

と、おじいちゃんや係の人との会話が弾んだのち帰っていった。それからは静かに鑑賞できるようになった。

その後、同じくその場に来ていた女性が僕に、

女性「これ、このまま(水が滴るだけで)動かないんですかね」

僕「んー。(この容器内の)水がある程度溜まると、なんか動きそうですよね」

水滴が滴る様子と同時に、装置が動き出すのをじっと静かに見守る時間が何分か生じた。

そして動き出した瞬間、お互いに、

「おおー!」

となった。


 ・再びモエレ沼公園

または、モエレ沼公園で自転車で走っていると、1人のおばさんに呼び止められる。

おばさん「あの山に沿って大量にある自転車なんなんですか?いつもはないんですけど」

僕「(そうなの?)あー芸術祭のオブジェというか作品なんですかね。あんな所に自転車とめるの大変そうですね〜」

僕が作品に対して、一対一で向かい合う以上に、偶然そこに居合わせた人との関わりは、自分以外の人の作品との関わり合いを気付かされるものであった。それは自分がどう作品を捉えるか以上に、お互いの経験を豊かにする。


○作品の外からまぎれこむ音/人

さらにいえば、音の出る作品というのは、その作品が置かれる環境によって受ける印象が大きく左右される、というのが肝だと感じた。とくに音数が多くない作品だと、そこには作品以外の音がまぎれこんでしまっていることが分かる。完全に外部の環境音を遮断することは困難だ。

・再び毛利作品

例えば、毛利悠子の作品は、大学構内の建物の高い位置にある一直線の通路を歩く上で、ある種の物語のようなものを生じさせている。

展示の入り口は暗いが、前を進んでゆくとそこはガラス張りの空間になっており山や近くの住宅街といった外の景色がみえてくるようになっている。

その外の景色は、その時の天気や、朝-昼-夕の時間帯などの要因で当然変化するだろう。それによって、作品から受ける印象も相当変わってくるんだろうなと感じた。

自分が鑑賞した時は、とても天気が良かった。そこでは大学構内の草刈りの音が聞こえてきたり、近くの木の葉が風で揺れる音がたくさんきこえてきたりした。

しかし、それは邪魔だなー、というよりは、展示物である装置のコイルから鳴る「ジーッ」という音などと、共演しているかの様にきこえたりもする。

・再び山塚アイ作品

また、山塚アイの作品に戻る。これは広い暗闇の部屋全体が作品になっている。暗闇で危険なため、係の人は入場する人に対して、注意の言葉をかける必要がある。

「足元にお気をつけください」

「マットの上に座ったり、横になっていただいてもかまいません」

または、暗闇がゆえに、はぐれる可能性もあるので、親子どうしなどで声をかける必要も出てくる。そのため、その場は喋っても問題ないような空間になりがちであった。

それに加え、会話が少なめになったとしても、暗闇を歩くとすり足になりがちのため、マットとスリッパがこすれる音が目立ったりする。

この会場で響いているのは、山塚アイのハイノートの声にコーラスやディレイのようなものをかけた静かで神聖な感じのアンビエント音だが、その場に人が多いと、それをじっくりきくことも難しい。

その時は純粋に作品に没頭できなくなってしまうが、これは作品の都合上、そうならざるをえないもので仕方がないといえる。柔らかいマットの上でゴロゴロしても良いとのことなので、憩いの場のようにもならざるを得ない。自分自身も疲れていたのでいい休憩になった(笑)。

座って休憩していると、近くに親子とおぼしき2人が近づいてきた。

男の子「なんかここにあるよ」

父「なんだろう」

僕「あ、人です(笑)」

男の子「なんだあ(笑)」

父「すみません(笑)」


・再び金市舘ビル: 梅田哲也 《わからないものたち》

8/15の19時ころに札幌市街地のパチンコ店が入っている古い建物(元デパートらしい)の7階へ梅田哲也の展示へ赴くと、なぜか人っ子一人もいなかった。

しかし、広い空間内で装置が動いて音が鳴ってたり光が点滅しているので、やっぱり展示中なのかなと思って入ってみた。パスもあるし問題はないだろうと。暗めの空間で一人で作品に接することが出来たのは稀有な体験だった。

と、思っていたら、なんか控室っぽい奥から口笛(ナットキングコールのラブ、を、くずしたものにきこえた)が聞こえる。これは、作品のスピーカーとかからの音じゃなさそうだぞ?と思っていたら、しばらくして梅田さん本人が奥からでてきた(笑)。パンフにも情報はかいていなかったが、お盆なので今日は休館にしていたとのことだった。初対面だが、たまたま共通の知り合いがいたので少しお話した。

梅田さん「あの人、味があっていいですよね」

僕「いやあ、ずぼらすぎて困ってます(苦笑)」


○おもいがけなく遭遇してしまうということ

今回色んな作品に接して共通して思ったのは、それらはどれも、美術館で絵などの展示物をみるのとは全く違うし、音の出る作品についても、音楽を1人できくのとも、ライブで沢山の人と一体感を持ってきくのとも全く違うということだ。

そこには、純粋に「わたし(たち)」が「作品」を鑑賞するという、一対一の関係の完結性だったり、「わたし(たち)」が「作品」世界へ没入していくといった要素を阻むような、おもいがけなさを発生させる仕組みがある。

それは、展示空間の作品内で偶発性や突然性を仕組んでいるのもあれば、それだけでなく、ほかのお客さんや、天気やその場の環境からおもいがけなく、紛れ込むということもある。

そもそも、このようなおもいがけなさ、というのは、日々の生活の中で、どこか知らない場所にいったり、知らない人と出くわしたりすると頻繁に起こることだ。

この芸術祭での体験のおもいがけなさには、日々の生活の延長線上であるような感覚があった、ともいえなくはない。

もう少し個人談を書くと、芸術祭巡り後に、とある人に連れて行ってもらったバーで、店員や他のお客さんとちょっとした会話をしたり、すすきののバルで、たまたま隣に座った高田純次的ちょい悪オヤジに、おおよその人格を見抜かれ軽くアドバイスを受けてしまったりしたのだが(笑)、これらの体験と芸術祭の体験はほとんど等価のように感じている。

以上は、自分が体験したことの一部にしかすぎないし、作品についてもう少し詳述することもできなくはない。しかし、もっと時間をかけてみないと分からないこともたくさんあると思った。さらに他にもたくさんの会場だったり、イベントがこれからあったりする。

興味が少しでもあり、予算、時間、身体的に多少の余裕のある方には、実際に行ってもらうことを強くオススメする。

自分にしか起こらないおもいがけない遭遇が、きっとそこで生じることでしょう。

Rob Araujo 『Loading​.​.​. [Full EP]』

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全く知らないアーティストの作品を試聴なしで買うという、所謂、「ジャケ買い」をしたことがない私。
というのは冒険心のなさなのか?はたまたケチなだけなのか?
(最近セブンイレブンで買う缶チューハイを100円のやつにしている私は果たしてケチなのか?!)

一つ言えるのは、知らない音楽をきくには、基本的にCDを買うしかなかった時代をギリギリ通過した年代の私にとって、youtube発達以前は、膨大な気になるアーティストの中から順番にアルバムを買うしかなかった。

だから、何者だか知らない人のアルバムなんて手に取る余裕さえなかった、とはいえる。何しろ学生だったし、使うお金が限られていた。と言い訳してみる。

今や、新しい音楽のdigり方がまるで変わってしまった。

今までは、好きなアーティストのオススメや人脈をたどる、友達のおすすめ、音楽雑誌、音楽本、レコ屋の試聴、ウェブショップ、ブログ、ツイッターのフォロワーのオススメを参照して、実際にフィジカルの盤を買う、というのがほとんどだった。

しかし、最近はもっぱらyoutubeの関連動画から適当に探すことが多い。
(SoundCloudやBandCampも、もちろんdigるのには欠かせないが、最近の自分はyoutube比率が高いモードである)

判断材料はサムネイル、ジャケしかない。
だから、可能な限り先入観を与えられず、誰の価値判断にも左右されない。そこが良い。簡単に自分が未知の領域へ開拓できるのもグッド。

さて、そんな中で、なんとなく気になるジャケ画像をポチッとな。

足元に散らばるゲームのコントローラー、マイク、ヘッドホン、右側のオカリナみたいなのはなんだ?(トトロか?!)

背景にうす〜くアップライトピアノ、そしてキーボードの前に座るデブ。

オタクっぽさを醸し出しまくっている。
いけてないいけてさが最高である(誉めてるんですよ!)

なんだこれ?と思って聞くと、エレガントなピアノと揺らいだ打ち込みのビート。
チルアウトな鍵盤が基調になっているヒップホップ、ネオソウル、ジャズ的な今っぽさがある。
しいていうなら宅録グラスパーっぽいといえるか。

誰だろう?と思ってアーティスト名で検索すると、本人のホームページがヒットし、太っちょの写真が出てきた。絵は本人なんかい!

友達になりたいタイプ笑。
(最近身近にデブの友達がいない)
↑ちなみにここでのデブとは100kg超級をさしている

太っちょにしてはお洒落&エレガントすぎる、というギャップは特に感じないし、それを感じるのは偏見でしかない。見た目ダサいけど音が凄い人、沢山いますよね。

とはいえ、完全に偏見をなくす、というのも無理で、たまにはそう感じることもあったりする。

例えば、見た目と音のギャップ、というのを今まで一番感じたのはグラスパーだった。
グラスパーは見た目がゴリラっぽいじゃないですか(これまた念のため、disではなく、そういや去年のタモリ倶楽部のゴリラ回が最高だった)。

初期の名盤『In My Element』を手に取った時、何かドス黒いサウンドを期待してワクワクして再生ボタンを押したんですが、そのピアノはイケメンの貴公子かよ!、もう少し具体的に例えるなら、黒人メルドーか!と思った次第。

さて、戻る。ざっとプロフの感じでは音楽学校を卒業してLAでピアニスト、プロデューサー、講師として活動しようとしてる人みたい。

この作品は、14分の短い中で、さりげなく展開を沢山作っていて、短編集的でありながらも、自然な流れになっているのが良い。

それに、こういうビートミュージック的なトラックで、鍵盤がメインになっていて、ジャズっぽいソロが多いのも、そんなにはないような気がする。

最近の傾向はどちらかというと冗長にならないようにソロは控えめになりがちじゃないですか。
アンサンブルできかせたり、トラックの抜き差しで流れを作ったりして。

でもこの作品のピアノソロはトラックにとって必然なのが良い。

こういう鍵盤奏者のチルっぽい作品で大好きなアルバムが2枚あって、それはハービー・ハンコックの『Mr.Hands』と坪口昌恭トリオの『Radio-Acoustique』なんですが、それと通じるものも感じる。

凄く良い!

とはいえ、これ位のレベルの音楽を作るミュージシャンは、ライブレベルだと自分が知ってる範囲で日本でもいるし、自分の知らない範囲でも沢山いるでしょう。

しかし、youtubeだけで数か月で6万越えのview数で、いとも簡単にネット上で出会うということは、そんなにはない。

この作品に限った話では全くなく、活動、創作、レコーディングのしやすさを含めたシーンやコミュニティの盛り上がりは、やはり日本よりもやはりアメリカの方が底が厚いのか、と、感じてしまう。

そこらへん何とかしていきましょうや、と感じる日々でございます。

福生の楽器屋 その3. 再訪

中央線の中央特快で新宿から立川までを突っ切るのは久しぶりだ。
そして立川で青梅線に乗り換える。
青梅線の車両はドアがボタン式になっていて停車中に乗客が自由に開閉できるようになっている。これも久しぶり。

電車に乗ろうとすると、自分の前の先に入った人が、後ろの自分に気づかずドアを閉めてしまい、「(わたしいるんですけど!)」ということがよくあるのも、ボタン式あるある。

福生駅に到着し、友人と合流。
横田基地沿いに出るまで、1キロほど、あちぃー、となりながら歩き楽器屋に到着した。

店内はおばあさん1人で、座りながらアコギの調整をしているようだ。

「何かお探しですか?」

プレベを探してまして」

ジャズベは人気があってあまりありませんけど、プレベはたくさんありますよ。」

 

3年前にここでストラトを買った者だと伝えたが、流石に覚えてはいらっしゃらなかった。


アコギを引き続き調整しながら、

「私は何もしませんから、自分でアンプに繋げて、お好きな楽器を弾いてください」

といわれる。

相当な数の楽器やアンプがつめつめで並んでいるため、奥の方の楽器ほど取りだすのが一苦労。ヘマするとドミノ倒しみたいになってもおかしくない。だから、(とても元気な方だが)、体は小さいので、お客さんに任せたいのも納得。

普通の楽器屋だと店員さんに一本づつ「これお願いします」という必要があるので、なんて自由なこと!

というわけで、そこそこ雰囲気のある赤いプレベが気になりシリアルを見るとJVと刻まれていた。いわゆるジャパンヴィンテージとして人気があり巷でプレミア価格気味のものである。取り出そうとすると他の楽器を倒しそうになった。

「倒しても怒りませんから」

と、そこら辺は寛容らしい(もし起こったら悲惨なことに…)。

このベースと70年代フェンダーUSA製など、気になるものをまず3本試奏した。悪くはないが、取り立ててよくもない、という感じ。

「おすすめとかありますか?」

と聞くと。迷わずに、

「これですね。マツモクの昔のものです」

と、メイプルネックのベースが指さされる。

マツモク、とは不勉強ながら知らなかったが、長野にあったメーカーとのこと。
値段的にもさっき弾いたベースの方が2〜4倍の値段がするので、そんなに期待せずに弾いてみた。



明らかにそれまで弾いたものより鳴りがいい!メイプル特有の明るさとパンチのある音なのに加えて、暖かさとふくよかさもある。
友人が「それ、アクティブ(電池入り)なの?」と聞くのももっともだ。もちろんパッシブだし、特別弦高が低かったりピックアップ位置が高いわけでもない。

とはいえ、まだ3本くらいプレベがあり、最初の方に弾いたのも弾き直して、再度このベースを弾いた。
しかし、明らかにこれが良い。


「いやあ、やっぱこれ良いですね。なんでなんですかね」

「私のいうことを信じないんですか?たまたまこの個体のバランスが良いんでしょうね。音に色気があるわね。新しいフェンダーのは木がダメね(その他色々)」

50年間楽器屋をやってきたということは相当な本数の楽器をみてきたということだ。これほど楽器をみる確かな目を持つ人はなかなかいないだろう。それに、自分にとっても納得の「これしかない」という音だ。
と言うわけで購入し、また色々とお話をした。

フレットレス化について伝えると、このお店で受け付け可能とのこと。区内の楽器屋で検討していたが、こういうのは買った店にお願いすべきだろう。何しろ、この楽器屋にまた来たいと思う自分がいた。

「弾き倒してから考えてまた来なさいね」と言われ、お店を出た。

帰りは立川駅で途中下車し、数年前この駅を日常的に利用していた時によく行っていた、東園という中華料理屋さんに久々に行った。

ここは店員全員が中国人で、四川の本場志向な感じだ。とはいえ特別辛いメニューが多いわけでもない。青椒肉絲とかのスタンダードなメニュー含めて、どれも味付けが繊細で美味しい。でも、麻婆豆腐とかになるとつい抑えられずに本場っぽさがでちゃってる感じで、それもご愛嬌。

友人が肉を食いたい、自分は炭水化物を摂取したい、ということで、四川とは関係なしにスタンダードにレバニラとチャーハンを頼んだ。薄味のチャーハンはそれだけでも美味しかったが、レバニラと一緒に食べたり、お店特製のラー油(中国唐辛子を漬けたやつ。あんまり見かけた事ない)を少しかけて食べるとさらに美味しかった。

このお店にしろ、さっき行ってきた楽器屋にしろ、別段、隠れ家、とか、閉鎖的なコミュニティというわけでもなく、日常的に地元内だったり地元外の色んな人が利用してる場がある。そして、SNSが発展してるとはいえ、みんながみんなそれについて投稿するわけではない。

だから、ネット上だけではわからない事はたくさんある。というか、わからない事や、情報があったとしても分かった気になったことがほとんどだろう。

どんな人にも、たまたま縁があって、面白い場、人、もの、こと、に出会ってしまう事がある。

それを、自分のためだけに日記やメモに書いたり、友人との会話で話すように、ひっそりと、ネット上に記録する。そして、何かを特別狙ったり期待しなくても、その記録が、知らない人に思わぬ形で届いているかもしれない。

というあり方がとても良いな、ということを、最近ふと出会った人をきっかけに気付かされ、これを書いてみた。また何かあれば書くかもしれません。

(楽器屋についてですが、もし友人、知り合いで行きたい方がいれば、一緒に行きましょう)

福生の楽器屋 その2. 必要な音

何を目的に福生の楽器屋まで向かったかというと、その根本の理由は今やってるバンドに合う音のベースを追い求めて。加入以来ずっと、持っているベースのセッティングとか弦の種類とか弾き方で試行錯誤しているが、まだ改善の余地を感じている。

それに、リーダーから「ウッドベースを弾きなさい!(実際にはシャイな方なので申し訳なさそうに「よかったら弾いてくれませんか…」的な低姿勢でお願いされるのですが…)」との要望が来たりもする。しかし、予算、運搬、練習場所の確保的にも厳しく流石に無理だ。とはいえ、バンドサウンド的にも、アコースティックっぽい音が向いていそうなのはずっと自分自身も感じていた。という中で色々調べているうちに、プレシジョンベース(以下プレべ)をフレットレスにしたら良いのではないかという案が自分の中で去年の夏に出た。

フレットレスベースというと一般的にはジャコ・パストリアスウッドベースと同じようにフレットを抜いたジャズベースが有名だ。では、そのジャズベフレットレスじゃダメなのか?と問われると、今の自分にとって(そして今後もきっと)NOなのだ。その理由を説明し始めると長くなが、端的にいえば、ジャコ・パストリアスを想起させる路線とは違う方向に行きたいから。とはいえ、ジャコは自分がベースを始めたきっかけの人物だし、今でも大好きだし、ベースを弾くうえで一生付きまとってくる人物になるとも思っている。

さて、プレべのフレットレスの音を初めて聞いたのは、ユーミン(荒井由実時代)の1stと2ndでの細野晴臣のプレイ。このアルバム自体大名盤だし、2ndの「やさしさに包まれたなら」や1stの「ひこうきぐも」はジブリ映画でもお馴染み。聞いたことない人は日本人でほとんどいないはず。特に1stは個人的にも人生のマイベスト10に入る程大好きなアルバムだ。しかし、細野さんがここでフレットレスのプレべを使っているというあまりにもマニアックな情報を知ったのは、つい2年くらい前のベースマガジンだった。

プレべのフレットレスについては、使っている人を一人だけ知っていたものの、普通に売っているものとも思っていなかった。知らなかったので調べてみると、70年代にフェンダーがフレットレスのプレべを作っていたとのこと。しかし、個体は多くなく今は市場にもあまり出てこない。というわけで、去年の夏からデジマートで定期的にフェンダーの純正のプレべフレットレスを探していたわけです。で、季節に1本くらいはみかけ、ようやく試奏にこぎつけたのが今年の3月。細野さんはトーンつまみ絞り気味でこのタイプのベースを使ってたんだろうな、という事が分かり、求めている音にかなり近かった。しかし流石にヴィンテージ扱いなので30万円以上はする。

それに、この純正プレべフレットレスはウッドベースと同じようにフレットラインがない。そのため、正しい音程をとるのが一苦労だ。ならばジャコがやったみたいに、フレットのあるプレべを割安で購入しそれをライン付きでフレットレス化した方が予算的にもプレイアビリティ的にも理にかなっている。

さて、そのためにはプレべを探さないといけないし、それからどこかの楽器屋とか工房にフレットレス化をお願いしないといけない。ということで、色々調べていると、ベース界隈では有名なシンメイさんという方が、昔の日本製のジャズベースを安価に入手し、フレットレス化する試みの記事を多数書いていた。そして、その音は数10万の楽器にも引けをとらないらしい。更に、そのうちの1本があのジャコフォロワーのベーシスト、織原良次のメインベースになっていることを知る。

なるほど、自分はジャズべではなくプレべでトーカイやフェンダージャパンのジャパンヴィンテージの良い個体を探せばいいのだな、という事をここで悟った。そして、この4月くらいから毎日デジマートとヤフオクをチェックするという病気に罹患してしまった苦笑。デジマートでみつけた方は、実際に楽器屋に行き試奏した。しかし、今のところ「これは本当にいいのか?」と疑問を持たざるを得ない楽器しか出会っていない。
というなかで、3年前に行ったあの福生の楽器屋に行くしかない、という結論が出た。引っ越しして福生は行きづらくなっていたのだ。

(ところで、プレシジョンベースとは、フレットのないウッドベースと比べて「正確な(precise)」音程がとれるフレット付きの小型のベースとして、フェンダーが世界で初めて発明したエレクトリックベースに名づけられたものです。プレシジョンベースなのに、フレットを抜くことで、音程が正しく取れなくなるという背徳感、語義矛盾が個人的にたまらないと感じています。この感覚わかるでしょうか(笑))

福生の楽器屋 その1. 赤いストラト

東京に来るまで福生という地名を知らなかった。

一番はじめにその文字列を認識したのは、上京後、青梅線に乗った時。でも、読み方が分からない。「"ふくおい"かな?兵庫の相生(あいおい)みたいに。あれも読めなかったなあ」などと考えていると、車内ディスプレイの経路案内に「Fussa」とあり。斜め上からの回答を与えられ、そりゃ分からん!&記憶となった。

2013-14年にかけて昭島市に住んでいたころ、福生は米軍基地がある事もあって独特な雰囲気の町だということをどことなく耳にするようになった。自転車で行けなくない距離という事もあって、暑さも落ち着いてきたころに、ふとサイクリングがてら行ってみようと思いたった。9月ごろだったと思う。

行く前に、福生のお店(自分の場合、大体、中華などのアジア料理屋、ラーメン屋から始まる)などを検索する中で、楽器屋について調べると、長年やっているという中古楽器屋がヒットした。当時、自分が弾くベースに関しては今のところいらないかな、とは思っていたものの、ギターも弾けるようになりたいなあとなんとなく思っていた。というわけで寄ってみることに。

拝島駅方面から自転車で走っていると、徐々に道路に沿って右手方向がフェンスの地続きとなり、そのフェンスを越えた先が横田基地になっていた。滑走路とかあるのかなと思っていたら、それはもっと基地内部にあるみたいで、道路から見えるのは宿舎っぽい建物など。道路左手沿いを自転車で走ると、徐々に、お店などが増えてきた。雑貨屋、服屋、アクセサリー屋、ミリタリーショップ、教会などを通過した。英語の看板も多い。小学生の時に家族旅行で行った沖縄の感触を思い出した。

楽器屋の前に到着した。中に入ると、その狭い店内には多くの中古楽器が雑然と並べてあった。古そうなギターとベースばかりで、見慣れないロゴのものも多い。

ギターを探していると、フェンダーの赤いストラトキャスターをみつけた。

まず第一印象で、傷とか塗装剥げはあるけどそれ含めてルックス・雰囲気が良い(可愛い!)ところが気に入った。それに弾いてみると(ギターの個体の良さというのは未だにそんなには知らないけど)鳴りが凄く気持ち良かった。

店長のおばあちゃんいわく、「フェンダージャパンの85年のEシリアルです。昔の日本の楽器は本当によくできているんですよ。新しい楽器は木材も作りもダメで買うもんじゃありません」とかいうもんで、当時の自分はよくは分かっていなかったものの、その言葉にも、楽器の音にも妙に説得力を感じ、安価なこともあり、その場で買ってしまった。

このおばあちゃん、50年近くここで楽器屋を続けており、今は常駐ではないリペアマンはいるものの基本1人で切り盛りしてるとのこと。僕は関西出身なのであまり馴染みはないのだけど、ある世代以上に特有の綺麗な東京の言葉を話される方だと感じた。基地周辺の環境もあってか外国人客も多いらしく、電話上で英語での対応も流暢になされていた。

色々お話をした中で、とにかく70、80年代の日本の楽器の作りは良いこと、クイーンが好きだということ、まさかの灰野敬二のことを灰野君と呼んでいたこと(!)、が印象に残っている。

で最近、久しぶりに福生のこの楽器店に行ってきました。今回再度向かった理由は、大学以来の友人(もともとドラマーだが、エフェクター、アンプ、パーツ、楽器などのジャンク品をヤフオク等で調達しては修理、自己流モディファイを施し、各軽音楽サークルの部員に高値で売り付け、その仇で留年しまくり&卒業が危ぶまれていた同級生)が行きたがった、というか、自分が「福生にオモロイ楽器屋あるで。行かへん?」と入れ知恵し、要するに自分も行きたかったわけです。

宇多田ヒカル「忘却 featuring KOHH」・・・ リズム / 歌詞分析から読み解くラップのフロウ

*注: 本題は中盤以降になります。

 

○最近の日本の洋楽事情って???

街中でギターとかベースを担いだ高校生とかをよくみかけますが、今時の子ってどんなバンドが好きだったり、どんな曲を演奏してるのかなーと気になりながらも、声をかけると不審がられること必須。なので、よくわからないままです。


最近の流行りだとRADWIMPSとか未だにBUMP OF CHICKENとかflumpoolとかなのかしら。洋楽なんかどうなんだろ?最近流行ってる洋楽バンドってなに…?ジャスティン・ビーバー、、ブルーノ・マーズファレル・ウィリアムズレディ・ガガ…、うーん…全部バンドじゃないですね!

昔だったら、リアルタイムでニルヴァーナ、グリーンデイ、レッチリ、オアシスなどのギターロックバンドがコピーされてたと思うんですが、2017年現在の若い世代で有名なギターロックバンドって何でしょうか?あまりないような気がします。

これは統計を確認したわけではなく、全くの自分の主観なんですが、新しいギターロックバンドがぱっと出てこない要因の一つに、PCでの音楽制作の普及に伴い、世に普及する音楽も、バンド演奏から打ち込みへとシフトしているという事があるように思います*1

打ち込みの音楽をバンドで再現する事の難易度と敷居の高さ、というのがある。例えば、きゃりーぱみゅぱみゅをバンドで演奏できると思いますか?シンセ使いの魔術師じゃないと無理っしょ!対してニルヴァーナのコピバンでギターのパワーコードを鳴らすのはちょっとその気があれば(特にモテたいのなら!)誰にでも出来る!

○では、そもそも今洋楽で何が流行ってるの??

ということでUSのビルボードヒットチャートを見てみましょう。(2017/4/1)

http://www.billboard.com/charts/hot-100/2017-04-01

1位はよく知らないのですっとばしますが、2位は元プロ野球選手の新庄と似ていることで有名なブルーノ・マーズですね!死んじゃったマイケルとかプリンスを継承してる感じがしてめっちゃカッコいい!今の日本で歌もダンスも上手い本格派は沢山いますけど(三浦大知さんとか)、バカ売れしたり国民的スターになる、というまでは最近なかなかないですよね。

○完全に雑談です

昔からUSのヒットチャートに入るアーティストをみていると常にセレブ感を感じます。それに比べて、現在あらゆる意味でアイドル(AKB系、ジャニーズ系、EXILE系、声優系、演歌系(おじさま、おばさまのアイドル)…)だらけの日本のヒットチャートをみると「セレブ感」あまりないですよね。そんな中で私はやはり、今の日本に必要なのは「ポスト叶姉妹かつポスト浜崎あゆみ」なんじゃないかと思います!(ポスト・トゥルースなんてもってのほか!)

歌って踊れる、どエロいセレブの歌姫(ディーバ)が売れる国は、勢いと元気がありそうですよね!(えっ格差社会がひどそう?!)
元気があればなんでも出来る!とか言われましても、そもそもお金とエロがないと元気がでない(´-`)よね。

NO MUSIC, NO LIFE.

が成り立つ前提は、

「NO MONEY, NO LIFE.」
「NO SEX, NO LIFE.」

だという基本中の基本(というか資本主義社会&地球の原理!)が分かってないと音楽産業はダメになる一方ですよ!みなさん!


○脱線しがちですが、ここからが本題

では3位が誰かというとMigosという人らしいです。日本では全く馴染みがなさそうですし、私も知りませんでした*2

 

www.youtube.com

 

滅茶苦茶どギツイ黒人のヒップホップです。こういうガチのヒップホップが、日本のヒットチャートに入る音楽で参照されることはないのではと思うなかれ。

いはるんですわー。


こちらです。


宇多田ヒカル「忘却 featuring KOHH」

www.youtube.com


確かに同じラップだけど、そんなにどぎつくなくない?声も全然違うじゃん(そもそもトラックの雰囲気落ち着いてるし全然ちゃうよ?)。とかいう声もあるかもしれません。

しかししかし、「リズム感覚」という観点からみると、KOHHはここ最近の黒人ラッパーのリズム感覚を参照しているのが分かります。実は、さっきのMigosにもそのリズム感覚が如実にあらわれているのです。

これは、私が勝手に言っているだけではありません。KOHH自身が明言しております。

「(略)最近だと、NYのハーレムに先月行ってて、そこでJ $TASHっていうアメリカ人のラッパーが同居人だったんですけど、彼はRELAX GANGっていうクルーに入ってて彼らに食らいました。フロウが新しい。今までの人が『1,2,3,4/1,2,3,4』みたいに載せてきてたのを『1,2,3/1,2,3/1,2,3,4/1,2,3/1,2,3』みたいな。凄いんですよ、グチャグチャだけどちゃんとしてるというか」
http://amebreak.ameba.jp/interview/2014/08/005016.html

ここで、KOHHが言ってる、
『1,2,3/1,2,3/1,2,3,4/1,2,3/1,2,3』
のリズムの取り方は、文字起こしゆえによくわからなくなってしまってますが、2種類の解釈が可能です。もちろん彼はそのどちらか片方だけのことをいっているとは思います。しかし、今回取り上げる宇多田ヒカルのトラックでは、その両方が同時に成り立ってしまっているのです。

もったいぶらずに先に結論を言いますが、それは以下の2つです。
-----------------------------------

1:ポリリズム(主にアフリカ起源)
2:変拍子(主に東ヨーロッパ-中東-インド起源)
-----------------------------------

まず、ポリリズムから説明します。変拍子についてはトラック分析と同時に後述します。

ポリリズムについての簡単な説明


そうですね~、可能な限り分かりやすく、敷居を低くすることをモットーにしてこれを書いてるんですが、幼い子供でも馴染められるような例にしましょう(これ、子供は読まへんやろ~、かもしれませんが、それならお子さんのリズム教育の題材にでもどうぞ!)。


アニメタイトルが以下2つあります。
-----------------------------------
・A:魔法少女まどかまぎか
・B:クレヨンしんちゃん
-----------------------------------

この言葉を、例えば、一定の手拍子を打ちながらリズムに当てはめるとします(音楽なしでやってもいいですし、例えばこの記事に貼ったトラックに合わせるとやりやすいかもですね)。

すると以下のように拍を取ることが出来ます。

*注1:( )を1拍の長さとする
*注2: A,Bで1拍の長さは同じ(手拍子のみの場合気を付けること)
*注3:「しょ」や「じょ」などは一文字カウント
-----------------------------------
・A:(まほう)(しょうじょ)(まどか)(まぎか)
・B:(くれ)(よん)(しん)(ちゃん)
-----------------------------------


Aだと1拍に3文字。
Bだと1拍に2文字。

となってますね。

超簡単に説明すれば、同じ曲の中でこのAとBのリズムが同時に成り立っている状態を、狭義の意味で「ポリリズム」といいます。

ここからKOHHが言っていた
『1,2,3/1,2,3/1,2,3,4/1,2,3/1,2,3』
について解釈してみると、彼は「/」を1拍の区切り位置とみなしてる、といえます。そして同じ曲の中で1拍の割り方が複数(この発言例だと「3」と「4」です)同時に存在しちゃってもいいんだと。これがポリリズムのうちの一つです。(ちなみにポリ=polyとは「複数の」という意味の接頭語です)

○ようやく分析開始:「ポリリズム変拍子はどこにあるのか?」

では、このトラックのどこにポリリズム変拍子があるかを確かめるために、実際にKOHHのラップとヒッキーの歌を文字起こしして、リズムをとらえてみましょう。(注意:ききながら読まないと確実に意味不明ですので、環境にもよるかと思いますが、ききながらじっくり読んで頂けたらと思います)

まず開始から長めのイントロがあります。(これはJames BlakeとかSolange(あのビヨンセの妹)などのアンビエントR&Bへの意識がうかがえますね)

ここでは、心臓の鼓動のようなビートがバックトラックに刻まれていますね。ちなみにこのリズムは、

(くれ)(よん)(しん)(ちゃん)

の4拍で取れます。そして1拍に2文字あり、4拍=1小節に8文字あるので、8ビートと捉えられますね。

そして、1:37からようやくKOHHがラップを開始します。


注:以降、 ()を1拍の区切りの単位とします
-----------------------------------
4拍:(すきな)(ひとは)(いない)(もう・)
-----------------------------------

さて、1フレーズ目からしてトピック登場!ここでKOHHは、1拍に3文字入れてラップを始めました(音楽的にこの状態を「3連」といいます)。

これは、みたらわかるとおり、(まほう)(しょうじょ)(まどか)(まぎか)と同じで、拍の区切りと文節の区切りが共通しているので分かりやすいですよね。

で、バックトラックの1拍の割り方が「2」なのに対し、KOHHの1拍の割り方は「3」で、これら2通りのリズムが同時に成り立ってしまっている。先ほど解説したようにこの状態が、狭義の意味でポリリズムといえるのです。

○クロスリズム(ポリリズムの一種)について


さてKOHHはこの曲では、ほぼ「3連」でリズムをとり続けています。とはいえ、ただ単に3連のフレーズを続けるという方法は割と多くのラッパーもやってます。しかし、KOHHは1拍=3連のリズム感覚を契機として、これから更に階層の異なるポリリズムを発生させていくのです。これは私、ラップではあんまきいたことないです。しかし、この後すぐ出てきちゃいます。

-----------------------------------
4拍:(・・・)(てんご)(くかじ)(ごーく)
4拍:(だれに)(もみえ)(ないと)(ころ・)
-----------------------------------

さて2段目に注目。ここもKOHHは引き続き3連でとってはいますが、(まほう)(しょうじょ)(まどか)(まぎか)のように、拍と文節の区切りが一致していないですよね。意味が取れるように文節に区切ると、

-----------------------------------
[だれにも][みえない][ところ・]
-----------------------------------

4文字で等しく区切れました。それまでの4拍が3拍に変わっちゃいましたね!

ここで、さっきみたいに、これと文節の区切りが同じアニメタイトルの例が欲しいですって?しょうがないなあ!では、「涼宮ハルヒの憂鬱」はいかがでしょう!

-----------------------------------
3拍:[すずみや][ハルヒの][ゆううつ]
-----------------------------------

ほら!文節の区切りが同じになりました!ここからこれ使いますね。

さて、(まほう)(しょうじょ)(まどか)(まぎか)という1小節を

「3文字x4拍=12」と書くとすると、

[すずみや][ハルヒの][ゆううつ]は

「4文字x3拍=12」

と捉えることが出来ますよね。そう!1小節内に3拍が均等に鳴っていると捉えられるのです。

ここが大事なところですが、このように、この箇所では1小節の割り方が「4」と「3」の2つある状態が両立しています。それも1小節に12個のパルスが、3でも4でも除りなく割ることが出来るからです。小学生でもわかる式であらわせば、

3連×4拍=4連×3拍=12=(1小節) という事ですね。

文節の区切り的に、(まほう)(しょうじょ)(まどか)(まぎか)と、4拍に感じやすい言葉も合計12文字がゆえに4文字区切りにもできて、

(まほうしょ)(うじょまど)(かまぎか)


と3拍にしちゃうこともできますし、反対に3拍に感じやすい[すずみや][ハルヒの][ゆううつ]も、

(すずみ)(やハル)(ヒのゆ)(ううつ)


と3文字(3連)刻みの4拍で取ることも可能だということ。

この1小節の分割方法が複数共存している状態が、はじめに説明したのとは階層の異なるポリリズムで、一般的に「クロスリズム」と言われます。


ちなみにこのリズムの起源はアフリカです。日本でポリリズムというと、Perfumeの次に菊地成孔氏なんだと思いますが、この3x4のクロスリズムが常に成り立っている曲の例として菊地さんのバンドの曲を貼っておきます。https://www.youtube.com/watch?v=WWHoSYP5XGc


変拍子について

ではリズム解説に特化するために少し飛ばしまして1:51~から文字を起こします。

-----------------------------------
1拍:(・・・)
3拍:(きたな)(いもの)(でも・)
3拍:(うつく)(しくみ)(える・)
3拍:(なつか)(しいこ)(え・・)
3拍:(おれか)(らはな)(れ-・)
3拍:(だれか)(のとこ)(へ- ・) 
-----------------------------------
=計16拍(=4小節)

-----------------------------------
5拍:(きおく)(なんて)(ごみば)(こへす)(てる・)
3拍:(がそり)(んかけ)(て・も)
2拍:(やしちゃ)(え・・)
3拍:(もふく)(にきが)(え・・)
3拍:(おむか)(えが)(くるま) 
-----------------------------------
=計16拍(=4小節)

-----------------------------------
2拍:(で・・)(・・・)
4拍:(いきて)(んのは)(しぬた)(め・・)
5拍:(そんで)(うまれ)(てくる)(それだ)(け・・)
3拍:(おはか)(のなか)(へ・い)
3拍:(ければ)(しあわ)(せ・・)
3拍:(ねむる)(かんお)(け・・) 
3拍:(いれず)(みだら)(け・・)
3拍:(このつ)(めたい)(て・・) 
3拍:(みんな)(がない)(てる・)
3拍:(そんな)(のさい)(てい・) 
-----------------------------------
=計32拍(=8小節)

さて、この歌詞の文字起こしは、フレーズの区切りごとに改行しているのですが、上記をみれば分かる通り、ここではフレーズの単位が3拍だったり5拍になっていることがわかります。


ずばり、これが変拍子といえます。

開始時点でKOHHは、(すきな)(ひとは)(いない)(もう・)のように4拍=1小節と、バックトラックの小節の繰り返しの中にフレーズを収めていました。

しかし、途中からこの4拍=1小節の垣根を超えて、変拍子でフレーズを区切る事でリズムを錯綜させて、スリリングな瞬間を生み出しているのです。これを一種のラップのフロウ、だということができるでしょう。


KOHHの発言を振り返りまして、この解釈上では、
『1,2,3/1,2,3/1,2,3,4/1,2,3/1,2,3』
の「/」が、フレーズの区切りとして捉えられ、数字が拍のカウントになってるわけです。1フレーズはバックビートの1小節単位=(4拍子だと4拍だし、3拍子だと3拍)だけでなくて、別に2拍でも3拍でも5拍でもどんな数字でも混ぜてしまって構わないんだ!ってわけですね。


また、さらにいえば、この変拍子もランダムに適当にやっているわけではなく、より大きな枠で見れば、4小節の繰り返しが基本となっているバックトラックの4小節の頭にフレーズを着地させているのが分かります。

上記のように、「記憶なんてゴミ箱へ捨てる」、の頭の「き」と、「お迎えが来るまで」の語尾「で」は4小節単位の頭にちゃんと合わせてるのがわかりますよね。体操選手やフィギュアスケーターが空中を舞い、技を決めた後、着地も見事に決めた時の姿を連想してしまいます。


○New Chapter/今ジャズ系のリズム感覚との同時代性。

ここまでで、ポリリズム変拍子の説明は一通りおしまいです。
ところで当ブログで過去、何回か書きましたように、ポリリズム変拍子の両立は、ロバート・グラスパーがはじめとされている、New Chapter/今ジャズ系と呼ばれる、世界中の新しいジャズにおいて顕著にみられます(http://soap.hatenablog.com/entry/20141001/1412182303)。そしてこれらは歴史の起源をたどると、ポリリズムはアフリカの音楽起源であり、変拍子は主に東ヨーロッパ-中東-インド起源です。USラッパーやKOHHがこれらの音楽を参照しているとは思いませんが、ポリリズムは元々アフリカから奴隷としてつれられた黒人に備わっているリズム感覚が顕在化しているのだと考えられます。また、変拍子的側面は何かを参照したというよりかは、なんかいつもと違ったことをしたい、という遊び心から出来てしまったのではないかなと私は思います。


また、New Chapter系を代表しているといってもよいドラマーにクリス・デイヴがいるのですが、最近宇多田ヒカルと一緒にレコーディングしたそうです。KOHHをフィーチャリングしたのと同じように、彼女には新しい音楽感覚の持ち主への興味が尽きないのかもしれません。


○リズムのズレと訛り/ラップのフロウ/グルーヴについて

去年ヒットした邦画シン・ゴジラで日系三世を演じた石原さとみさんの英語の発音が酷い、という事が少し話題になっていました。私からしたら確かにネイティヴ視点だったりガチのアメリカ人という人物設定からしたら違和感がある、という指摘はまあ理解は出来ますが、滅茶苦茶努力したんやろうな~、可愛いな~、という事で好感度高かったです(ただのファンかい!)。

このように、英語に日本語の発音のニュアンスが混ざると訛るように、リズムについても「訛り」があるといえます。

今回説明したリズムは3種類ありました。


①A1:[バックトラックの1拍の2分割の上]に、B1:[1拍の3分割の言葉を乗せる)]、狭義のポリリズム。一般化すると「1拍の分割方法の複数共存」
②A2:[1小節の4分割]と、B2:[1小節の3拍分割]が両立するクロスリズム(ポリリズムの一種)。一般化すると「1小節の分割方法の複数共存」。
③A3:[1小節=4拍]の基礎拍子に対し、それを無視して、B3:[2~5拍のフレーズを自由に組み合わせる]、変拍子。一般化すると「基礎拍子の枠を無視したリズムアプローチ」


①~③それぞれ、A*とB*の2つのリズム秩序が混ざっている状態です。機械が刻む場合は、これらのA*,B*の2種類のリズム秩序をその通りに刻むことが可能かもしれません。一台のロボットに日本語と英語を完璧に話し分けさせるのなら、それぞれ独立にプログラミングすればいいように。ですが、石原さとみに限らず、非英語圏の話者が英語を話そうとするとどうしても母国語に影響された訛りが出てしまう。これと同じように、A*、B*2種類のリズムを人が両立させようとすると、もう片方のリズムに影響されてずれて訛ってしまう、という事象が発生しがちです。


今回の文字起こしでは、あたかも、KOHHは均等な3連に、宇多田は均等な8ビートに言葉を当てはめているかのように表記していますが、厳密にもっと細かく見れば、ズレがあるわけです(それは記号化の限界でもあります)。では、ズレと訛りって何がちゃうねん!て思われそうなので、私の持論を展開してみますが、「ズレ」というのは、ポリリズムでなくても変拍子でなくても発生してしまう事象であり、人間の行為に不可避的に孕んでいるものだといえるでしょう。例えば同じ4拍子の曲を複数人で演奏しようとしてもAさんとBさんそれぞれ別のリズム感覚があるがゆえにずれてしまう。または、均等なメトロノーム(機械)対人間でも同じことが生じるでしょう。人間は完璧にはできていないのです。同じ拍子を複数人で共有しようとしても、別々のリズム感覚が混ざって干渉しあいズレてしまう。この意味において、「ズレとは微小な訛りのことである」と私は考えます。対してここで指摘しているリズムの訛りとは、上記の①~③のように複数のリズム規則が共存しているがゆえに発生してしまう揺らぎといえます。


ラップにおけるフロウとは何か?と考えると、感覚的に簡易に捉えれば、バックトラックのリズムに対する言葉のリズムのズレ、と捉えられますが、より細かく見れば、①~③が個別に、または、同時に発生している状態といえるでしょう。そして、意識(意図)的にも無意識(偶然)的にも、①~③が個別に生じることは割と頻繁にあるとは感じますが、今回分析したKOHHで特筆すべきことは、これら①~③が同時に共存してしまっているという事にあります。このレベルはメジャーな日本語ラップでは今までなかったのではないかと私は思います(とはいえ探せば先行例はあるかもしれません)。

訛りとかズレというのは、太鼓の達人だと高得点にはなりませんが、ズレるがゆえに気持ち良いグルーヴが生じることだってあるんです。ジャストにヒットすることが正しいわけではない。R-1チャンピオンの全裸にお盆のアキラ100%がいうように、「この世に絶対なんかない」んです。だから人前で歌ったり演奏するときにリズムがズレるのも、ズボンのチャックをズラすのも、恥ずかしがらなくていいんですよ!みんなもっとポロリしちゃお!


○最後にリズム分析と歌詞分析を同時に行ってみましょう


ここで終わりでもいいのですが、私自身全歌詞リズム分析済なのでせっかくという事と、「この曲カラオケで歌いけど、簡単そうでリズムよく分からない!」って人用に、後半の「KOHHのラップ->ヒッキーの歌」の流れの文字起こしを全部載せてみましょう。と、同時に、徐々にリズムが変化することの効果を歌詞分析とともに説明してみます。

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■KOHH続き(2:20-)
4拍:(・・・)(・・・)(・・・)(・・・)
4拍:(そんな)(のさい)(てい・)(・・・)
4拍:(・・・)(・・・)(そんな)(のさい)
4拍:(てい・)(・・・)(・・・)(・・・)
4拍:(ぜんぶ)(わすれ)(たらい)(い・・)
4拍:(かこに)(すがる)(なんて)(ださい)
4拍:(・・・)(もうい)(らない)(・・・)
■宇多田へバトンタッチ
4拍:(あつ)(いく)(ちび)(る・)
-----------------------------------
=計32拍=8小節

リズム分析のためにこの記事内では省略している箇所がありますが、前半のKOHHは「記憶なんてゴミ箱へ捨てる」「お墓の中へ行ければ幸せ」「 眠る棺桶 入れ墨だらけ この冷たい手」などと、過去を忘却したいが故に自分の死を想像していると汲み取ることができます(17/4/7: 他の解釈についての追記本文後にあり)。そして、「もういらない・・」などと絶望的になる中、突如として宇多田の歌が入り込む。ハッとする瞬間ですね。トラックの構成面からみても、4小節単位の繰り返しの中でKOHHには最後の1小節が残されているのに、この女性は絶望を感じている男をみかねて、突然言葉を差し伸べる。いや言葉というより「キス」を差し伸べている、と言ってしまっていいでしょう。「あついくちびる」とは、その後に「冷たい手」という言葉との対比から「熱い唇」の事なんだと解釈できます。唇の温度を感じているのです。(とはいえ解釈なんて自由なんだから石原さとみとかアナゴさんの「厚い唇」を連想しちゃっても大丈夫!)。また、KOHHが3連で言葉を重ねて、トラックの基礎ビートとズレた不安定なフロウをしているのに対して、宇多田はここでトラックのリズムと同期して8ビートで安定したリズムを取っています。死を思う不安定な気持ちの男と、彼にキスと抱擁するかのような声を差し伸べる女性の対比は、KOHHと宇多田のリズムの対比としてもあらわれているのです。


■引き続き宇多田(2:34-)
-----------------------------------
4拍:(・・)(・・)(・・)(・つ)(ーめ)(たい)(て・)(・・)
4拍:(・・)(・・)(・・)(・・)(こと)(ばな)(んー)(かー)
4拍:(・・)(・・)(・・)(・わ)(すれ)(させ)(て・)(・・)
4拍:(・・)(・・)(・・)(・・)(つよ)(いお)(さけ)(に・)
4拍:(・・)(・・)(・・)(・・)(こわ)(いゆ)(め・)(・・)
4拍:(・・)(・・)(・・)(・・)(めを)(とじ)(たま)(ま・)
4拍:(・・)(・・)(・・)(・・)(おど)(らせ)(て・)(・・)
4拍:(・・)(・・)(・・)(・・)(・・)(・・)(・・)(あー)
-----------------------------------
=計32拍=8小節

サビへ~
----------------------
明るい場所へ続く道が
明るいとは限らないんだ
出口はどこだ
入口ばっか
深い森を走った
----------------------
=計64拍=16小節

*注: ここは基本8ビート(しかし厳密に分析したらズレも多いですが)で、リズムも取りやすいと思うので、リズム表記は省略します。


■KOHH(3:31-)
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3拍:(あしが)(ちぎれ)(ても・)
2拍:(ぎそく)(でも・)
2拍:(どこま)(でも・)
3拍:(はしれ)(メロス)(・・・)
3拍:(くちと)(じてる)(けど・)
7拍:(あける)(めをつ)(よいさ)(けとは)(いたゲ)(ロ・・)(・・・)

↓ここからが変化点
4拍:(にど)(とも)(ど-らな)(い・・・) 
4拍:(できれ)(ばーも)(いっか)(い・・)
4拍:(のんだ)(つばを)(はきた)(い・・)
4拍:(おとこ)(にもに)(ごんあ)(り・・)
4拍:(だいす)(きだか)(らきら)(い・・)
4拍:(会える)(んなら)(あいた)(い・・)
4拍:(しあわ)(せなの)(につら)(い・・)
4拍:(おれた)(ちは)(よくば)(り・・) *
4拍:(またな)(いも)(のねだ)(り・・) *
4拍:(なにも)(なーい)(おねが)(い・・)
-----------------------------------

=60拍=15小節

*170417修正: 変化点以降、フレーズ末尾の韻(i)は必ず4拍目の頭に合わせられている。このため、「おれたちは」「またないも」の箇所では、2拍に5文字を入れた2拍5連に近いニュアンスになっている。他の箇所と比べ、「2拍->6文字」から「2拍->5文字」と、1文字足りないことからリズムが伸びている、と捉えられることが可能だ。


宇多田の言葉によって、絶望的な気持ちだったKOHHが「足がちぎれても、義足でも、どこまでも」がむしゃらに駆け出し始める。変拍子と3連由来のポリリズムが両立している不安定なフロウは、疾走感とともにへとへとになった足の不安定さをあらわしているようです。と同時に、語尾に注目すると、(o)による韻の踏み方*3は、不安定ながらも着実に一歩一歩前に進んでいる様子を感じさせます。

そして、ゲロを吐いた後の、「二度と戻らない」の言葉を契機に、以下の4つのリズムや構成の変化が発生しています。


・1:この瞬間のみ、それまでの3連(=1拍の3分割)のフレーズが、「1拍の2または4分割」に変化しようとしているが、急なためにリズムが訛ってしまっている(=ポリリズム由来)。
・2:以降、バックトラックの1小節=4拍と同期してフレーズも4拍に収めている
・3:以降、フレーズの語尾において、ずっと同じ韻(i)を踏んでいる。
・4:以降、それまでのラップの語りが歌へと変化する。*4

絶望的な気持ちの中、女性からキスと言葉を差し伸べられたことをきっかけに駆け出した男。そんな中、彼はゲロを吐いて「2度と戻らない」と突如と気付いた。戻らない過去。過去への後悔。後悔は生への願望ともいえるでしょう。

また、この楽曲でずっと4拍で刻み続けられていた心臓の鼓動*5のようなビートと、優しく持続する和音、そして、そのリズムと和音に同期したメロディーを口ずさむ女性の歌は、死のことしか考えていなかった彼を遠くから静かに見守っていたようです。

そして、ようやく彼は、その心臓の鼓動のようなリズムと和音の包み込むような温かさを無意識に感じ取じとったことで、歌いだし、トラックのリズムに同期し始めた、と。

それまでの彼の3連のリズムの中に4連のリズムが紛れ込んだその瞬間*6、それまでの死への思いの中に、生への思いが刺し込んできた。死にたいのか生きたいのかどちらなのかよくわからない、いや、どっちでもあるような戸惑いは、3連なのか4連なのか、そのどっちでもあり、どっちでもないようなリズムの訛りに現れてしまっているのです。そして、そこから続いて、「会いたい」「好き」という感情や欲望を正直に吐露していく。[しあわせ][なのに][つらい]、という言葉には、2つの感情と2つのリズム(3と4)の交じりあいがあらわれています。そして、それまでの不安定な変拍子からうって変わり、4拍子でしっかりと韻を踏みながらメロディーを歌い始めた彼の心の中には、依然として生きる辛さを感じながらも、生への思いが芽生えはじめているかのように感じられます。

 

■宇多田(3:58-)
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8拍:(あつ)(いく)(ちび)(る・)(つめ)(たい)(て・)(・・)
8拍:(こと)(ばな)(んー)(かわ)(すれ)(させ)(て・)(・・)
8拍:(かた)(いジ)(ーン)(ズー)(やさ)(しい)(め・)(・・)
8拍:(なつ)(かし)(いー)(なま)(えで)(よん)(で・)(・・)
8拍:(ひろ)(いせ)(かい)(にー)(みち)(な「`るス」)(テジ)(・・)
8拍:(かば)(んは)(きら)(い・)(じゃま)(なだ)(け・)(・・)
8拍:(つよ)(いお)(さけ)(に・)(こわ)(いゆ)(め・)(・・)
8拍:(いつ)(かし)(ぬと)(き・)(てぶ)(らが)(ベ「`スト」)(・・)
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=64拍=16小節

*注意:「`」箇所のみもう一段回細かく、2文字で「・」一個分となります(16音符のこと)。


(おしまい)

追記
[17/4/7 0:57]私はKOHHの人物像についてほぼ知らない状態で、KOHHの前半の歌詞内容を「自死の想像」と解釈していますが、KOHHの親が亡くなっていることを先ほど知り、それならばこの歌詞は「親の死」を指している、という解釈も自然にできてしまいます。この場合、本文の私の解釈とは食い違うところも出てしまいますが、それについても「リズム解釈の複数性(ポリリズム)と歌詞解釈の複数性が共存してしまっている」、ということすらできてしまうでしょう。特に冒頭の「好きな人はいないもう」「俺から離れ 誰かのとこへ」の意味を、私は失恋(恋人がいなくなったor死んだ)の事(故に悲しい、死んで忘却してしまいたい)と汲み取りましたが、いわれてみれば親の死とも汲み取れます。この曲の抽象度の高い歌詞は大事な人の死の悲しみと、自分が死ぬ事への気持ちが混淆しているようです。

どんな音楽にしても、映画にしても、あらゆることに絶対的な解釈というものはないですし、分析の目的は一つの答えをだすためではなく、自分の欲望や無意識を自覚することにあると私は考えます。以下引用で締めくくります。

「音楽の永遠の定義をどこかに求めるよりは、一曲の音楽を自分がどういうふうに聞いているか、この音楽と自分がどういうふうにかかわっているかということから逆に、その音楽の意味をみつけ、またそれを写してみて自分の位置をはっきり知ることが大切なのだ」
高橋悠治「音楽の学習のために」より

*1:エビデンス主義に基づくのなら「ヒットチャートにおけるバンドと打ち込みの比率の推移」というデータがほしいところですが、本題ではないので今回は調査しません

*2:これまたエビデンス主義的に正直に情報源を書いておきますが、Migosについては、私のリズムヤクザ(他称)仲間から教えてもらいました。ラップに疎い私の「KOHHみたいなフローをするUSラッパーはいないか?」という問いに答えてもらった所、そもそもバカ売れのラッパーにいたという事実を仕入れたわけです!

*3:「メロス」のみ(u)で踏んでいると思われる方もいませんが、ここでは語尾の「ス」でなく「ロ」で韻を踏んでいます。(o)で韻を踏む位置はこの場面では常に3連の真ん中にありますよね。

*4:KOHHは前半で既にピッチを合わせて歌っているという指摘もあるでしょう。「どこからがラップでどこからが歌か」という、ラップにおける音程問題がありますが、厳密に分析するならば、この楽曲における「KOHHのピッチの12音平均律音程からの偏差(ズレ)」の推移を分析すればよいのかもしれません

*5:そもそも冒頭の映像をみれば女性の胎内をイメージしていることが容易にわかります

*6:改めてKOHHの発言を振り返れば、まさにここが『1,2,3/1,2,3/1,2,3,4/1,2,3/1,2,3』の、ポリリズム側の解釈をあらわしているわけです