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5/23 Brainfeeder ライブレビュー (テイラー・マクファーリン サンダーキャット フライング・ロータス)

現行音楽シーンの最重要ビートメーカーであるフライング・ロータス主宰のBrainfeederのレーベルパーティーのために新木場Agehaへ。数々の出演者の中、今回の目玉といえるテイラー・マクファーリン、サンダーキャット、フライング・ロータスについてライブレビューを。
(注意:以下、プレイ内容を記述していきますが、テイラーとフライロではワタクシ、ブチ上がっていました。そのため、記憶があいまいな事が多々あるため、勘違いの可能性あり。ちなみに念のためキメたのはレッドブル二本のみでございます(最近お酒飲むと体調悪くなりやすい…))

テイラー・マクファーリンは世界的に有名なシンガーソングライター、ボイスパフォーマーのボビー・マクファーリンの息子であり、マーカス・ギルモアは、90歳近い現在でも現役で、ビバップ時代にチャーリー・パーカーと共演をしているジャズドラマー、ロイ・ヘインズの孫である。二人とも一流ミュージシャンのサラブレッド。この彼らの血筋と、ステージ上に鍵盤とドラムがセッティングされた光景から、ソロなどが含まれるジャズ的な演奏が行われるのではないかと少し予想していたのだが、先に演奏全体を振り返っておくと、生楽器は打ち込まれるビートの中の一トラック、一パーツとして使用されるという方法を取っており、分かりやすい姿でジャズ的な要素は現れていなかった。テイラーは鍵盤を弾くものの、ジャズの語法を用いたソロ演奏は行わず、コード進行の形成、または、ビートメイキングの一環として鍵盤を叩く事に徹しており、マーカスのドラミングも、打ち込みのビートの中の一素材として演奏しているように捉えることができる。アルバムの中のメロディ色の強い曲は演奏されず、ビートのグルーヴを調整しながらシームレスに曲間をつなげていくことで、フロアを持続して湧き上がらせる事に徹したダンスミュージックだった。
それでは、演奏開始から振り返ってみる。
テイラーが森林の鳥のさえずりのようなサンプルを流す中、アルバム「Early Riser」の一曲目をローズピアノとドラムのみで演奏する事から始まる。アルバムのこの一曲目はボーカルが入っており、鍵盤を弾くテイラーの口元にはマイクがあったので、彼の歌やボイスパフォーマンスが聴けるのかなと思っていたのだが、そのマイクはMC(注:ラップではなくしゃべり)以外で演奏に使用されることはなかった。生演奏の中、テイラーが徐々に打ち込みのトラックを重ねることでビートを強調していき、フロアを沸かしはじめていった。そして、機械による複数の打ち込みのトラックを抜き差しすることでグルーヴを変化していくと同時に、それに合わせて行われるテイラーの鍵盤とマーカスのドラムの演奏によって生身の人間の身体的なグルーヴをリアルタイムにビートの中へ溶け込ませ、全体のグルーヴを調整していく。そうやって推進力を持たせて演奏を展開していき、フロアをしなやかにトランスへともっていった。
特筆できる点としては、打ち込みに合わされる生演奏*1の存在のありかたを指摘できる。それは、人間の演奏が機械化されているという風にとらえるのは的外れだ。テイラーが再生するトラック自体にはパターンの変化と揺らぎを同時に含ませており、そして複数のトラックを抜き差ししていく中でグルーヴを変化させていく。その打ち込みのありかただけで、それはテイラーの技術と感覚によるグルーヴといえるのだ。そして、テイラーとマーカスは、リアルタイムにその時その時の打ち込みのビートを聴きながら、即興的な判断で演奏し、そのビートとの共演の中で、全体のグルーヴを調整していっているのだ。この即興的な判断と身体による演奏という点は、ジャズという音楽のもつ特徴そのものであるといえるのかもしれない。
それが特徴的に表れていると感じたのは、アシッドサルサと呼べるような曲(アルバムには入ってないです)で、トラック自体に持たせているパターンの変化と揺らぎと、それらのトラックの抜き差しと、そして生演奏の共演によって、リズムをポリリズミックに錯綜させていたシーン。ここが個人的にハイライトだった。マニアックな話だが、どうポリリズミックだったかというと、まず、クラーベのリズムを強烈なキックに担わせていた。クラーベは1小節を不均等に5つに分割するリズムと16ビートを4つに均等に分割するリズムが共存するのだが、テイラーはトラックの揺らぎとその抜き差しによって、その共存する2つのリズムのグルーヴを階調を描いて変化させ、リズムを錯綜させていたのだ。そうやって、フロアをトランスさせていった。
ライブごとにどのくらい演奏が変化し、どのくらい柔軟性や即興性があるのかを確認したいというのもあるが、そんなことよりも、ただ単純にとても楽しく、彼らのライブパフォーマンスをもう一度観たくて仕方がない。

  • サンダーキャット (Thundercat - bass/vocals Dennis Hamm - keyboards Justin Brown - drums)

基本的にアルバムで聴くことの出来る、彼がソングライティングを行った楽曲の中に、ソロパートを長めに挿入つつ演奏を進めて行った。テーマ→ソロ→テーマという形式がとられている曲が多く、この点ではきわめてジャズ的だったといえる。特にアルバムでは控えめだったサンダーキャットのベースソロがステージではかなり炸裂していた。ジャズやフュージョン的な語法の超高速フレーズだったり、ワウを用いた効果音的なエフェクトソロだったり。このワウについては曲中のベースラインの演奏自体にも用いていたが、エフェクトの調整またはPAの調整か会場との相性が原因なのか、鍵盤とドラムの演奏に埋もれがちに聞こえ演奏があいまいになっているように感じた所は少し残念。また、1stアルバムのIs it Loveの演奏では、ベース、鍵盤、ドラムの三人で曲の繊細なコーラスワークを行おうとしていたのだが、PAの不備でマイクの音が出ないトラブルがあり、演奏の流れが悪くなってしまったのも残念。テイラーとマーカスのグルーヴを繊細に形成していった演奏と比較すると、サンダーキャットの超尺ソロによってベースが抜けてしまう事で、グルーヴが持続されづらく、フロアもガンガンに盛り上がるような演奏ではなかった。ビートミュージックの中におけるジャズ的なソロのあり方の難しさを示しているように私は感じたが、もしも先述したトラブルもなく順調に演奏できていたらより良いサウンドになりフロアは盛り上がったのではないかとも感じている。
後半は、キャプテン・マーフィ(=フライロ)がラップで参加し、サンダーキャットバンドがそのバックに徹するという形に。ここではバンド全体が引き締まった演奏になっておりフロアも沸いていた。

ステージの中央にぽつんとおかれたDJ卓の前後に巨大な2面のスクリーンを立たせ、その前後に宇宙的であったり未来的であったり幾何学的な立体映像の流れが映し出される。銀河の様な映像が流れる中。DJ卓の前に立つFlying Lotusの大きな影が映し出される様子は、彼が宇宙船のコックピットにのって宇宙旅行をしているかのよう。
正直言って、今までここで私がテイラーやサンダーキャットの音楽を記したように、フライング・ロータスの音楽を言葉で描写するには、彼の音楽はとても幻想的で、あらゆるサウンドが溶け合って、とても抽象的だ。彼が使用する機材と彼の才能と音楽性と技術が相まって、彼の音楽は彼独自のものとしかいいようがなく、歴史の連続線上で捉えたり他の音楽との関連性で語る言葉を自分は持ち合わせていないというのが本音だ。
しかし、その記述不可能性が、リスナーを魅了し、夢見心地にさせるのだろう。
それと同時に、なんでガンガンに盛り上がるわけでもない抽象的な音楽がこれほど多くの人に人気があるのだろうと個人的に疑問に思ってもいたのだが、今回彼のプレイが終わった後、近くにいた女性が「やっぱ、ディスコのほうが楽しいよう〜」といっており、「お姉さん、その気持ち分からなくもない」と思ったりもするのでした。

*1:こういうライブ手法は最近結構よくあるのかあまり知らないのですが、菊地雅晃氏のTTTATとか私好きです