メモ/ランダム

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『Take Me Somewhere Nice』(2019)

 
オランダに移住しているボスニア人の少女(ドジ)が、故郷の父親に会いに行くために、従兄弟(とにかく無愛想)とその友人(チャラい)と一緒に旅をする青春珍道映画。
 
90年代の紛争で多くの人々が移民となったボスニアは、現在は故郷に戻ることが簡単になったようだが、オランダで育った少女にとっては故郷とはいえ、ほとんど異国だ。
そんなボスニアは、この映画では、蛍光色で彩られ、どこかドリーミーに描かれ、終始目が奪われる。
 
服装から建物の内装まで蛍光色が多く、それは映画用にそうしているのか、または、元々がそういう色を好む人の多い国なのかはよく分からない。
しかし、夜の街はネオンで紫に染まったり青白く光るように映されるし、昼間もビビッドに淡目に彩るように映されている。
 
自分がみたことがあるボスニアは、04年公開のゴダールの「アワーミュージック」位しかないと思うのだが、そこでは、紛争の爪痕として、廃墟となったマンションや家が暗く色褪せて映されていた。
 
しかし、この映画で少女がボスニアについた後に映される街は、アパートと世界のどこにでもあるようなショッピングモールくらいで、あとは、旅の移動でたどり着くホテルやお店や病院や田舎が映り、カメラが紛争の痕跡を視覚的に捉えることはない。
 
その代わりに、紛争後の生活の厳しさは、旅の中の会話で少し交わされる位だ。
そして、その旅は、何をやっても上手くいかなく、その様子がシュールかつユーモラスに描かれている。
 
基本的に人々は無表情で、まるでカウリスマキの映画の登場人物のようなのだが、監督のインタビューによるとファスビンダーの影響が大きいらしい(みたことないのでみてみたい)。
 
そして、この映画では犬が野良として結構出てくるのに加えて(特に最後の〜トリア系?の犬!)、登場人物もみんな野良犬みたいなのである。
主人公の少女は常に疲れて不機嫌な犬のような顔をしていて、それがまた魅力的だ。
ここで、少女といっているが、彼女は成人済みである。しかし、大人になりきれていないことに加えて、オランダにもボスニアにも居場所がなく、二重の意味でモラトリアムな少女だ。
 
タイトルの『Take me somewhere nice』=『どこかいいところにつれてって』
という言葉は、

『私をスキーにつれてって』(みたことない)
『私を月につれてって(Fly me to the moon)』

というタイトルと似たような、一聴ポジティブな恋愛の響きがする。

しかし、悩める彼女は、実はどうしても父親に会いたいわけでもないし、オランダにもボスニアにも居場所はなく、「とにかくここではないどこかに行きたい」と、受け身に逃避的に思っている。スキーとか月のように、明確に行きたいところがあるわけではなく、どこに行きたいのか分からないのだ。

この話は後でまた続けるとして、話を初めに戻すが、この映画は、蛍光色でドリーミーに描かれるのに加えて、画角は昔のテレビ風の4:3となっている。

そして、この色合いとこの画角の映像で、映画の序盤にボスニアの街とショッピングモールが映されると、それはまるで、ヴェイパーウェイブのアートワーク的な、蛍光色に染まる都市の感覚と近く感じられたのだ。
ただ、違うのは、ヴェイパー特有の80〜00年代初頭までのビデオ画質のノイジーさやローファイさはなく、この映画では澄んでいて鮮やかな所だ。

さらに、最近世界的に流行っているドリームポップ(有名なのはmen I trustあたりか)や、ベッドルームポップのMVは、映像が4:3のビデオっぽい画質のものが割と多いのだが、これもヴェイパーとは違う形でのノスタルジアのあらわれだといえる。
 
そして、この映画は、これらの最近のMVを含めた音楽の、ゆるさや気怠さと、とても似た現代的な感覚を醸し出している(映画の音楽ではなく、映画の映像の感覚が、である。音楽自体は若干のヴェイパー感もあるが、少し毛色が違う。しかし、これもめちゃくちゃ良い。シンセやテクノやアコースティックなものまで今っぽいのだが、どれも通奏してバルカン(ヨーロッパと中東のあいだ)の響きがしている)。

ここで、ドリームポップとベッドルームポップとヴェイパーウェイブの違いについては置いておいて、半ば強引にいえば、これらのすべてに共通するものは、基本的に部屋=自分の世界で完結する音楽ということである。

ベッドルームポップもヴェイパーウェイブも、自分のベッドルームで曲を作り、きくものである。そして、そもそも、ドリームポップにおける夢(ドリーム)は、自分のベッドルームでみるものだ。

これら全ては、部屋=自分の世界で完結する。さらにいえば、スマホやパソコンも自分の世界=部屋(ベッドルーム)である。

さて、この映画の主人公の少女は自分が望んだわけではないのに、ボスニアを旅することになるのだが、somewhere niceな所に連れてってもらうこともなく、どこにいっても結局自分の居場所がない。言いかえれば、どこにいったとしても、自分の部屋に留まっている状態とそんなに変わらないのだ。

しかし、それをさらに反転してしまえれば、今いる場所を自分の部屋にしてしまうこともできるし、どこでだって夢をみようと思えばみることだって、やろうと思えば出来るのだ。その意思さえあれば。

そして、彼女は人任せではなく、それを自分の意思で最後にやってのけた。それも、官能的に、である。こんなシーンを僕はほかの映画で観たことがない。

最後になったが、この映画は撮影も特筆すべきで、特に前半のカットはキメキメである。初めてフィンチャー堤幸彦をみたときに触れた、新しい感覚がある(この2人に似ているという意味ではなく、とにかく新鮮でカッコいい)。

音楽としては多少は触れてきたが、今の若い世代(20歳前後)の感覚を、映画としてはほぼ初めてみたと思う。しかもそれがオランダに移民したボスニアの女性監督の作品になるとは予想もしていなかった。何か新しいものは今までと違った場所からemergeするのは常のことだが、今後がますます楽しみだ。
 

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以上、MUBIの1週間無料トライアルで、英語字幕でみたのだが、そんなに難しい会話もないので、おすすめします。いきなりこのような映画に出くわしたので、この調子だと加入してしまいそう。でも、Amazonプライムを適当にみるよりいいかも。