メモ/ランダム

memorandum || (memory / random)

『ある行旅死亡人の物語』

https://mainichibooks.com/books/nonfiction/post-593.html

 

兵庫県尼崎市のアパートで死後2週間ほど経過後に孤独死で発見され、金庫には大金、右手指は欠損しており、身元も名前も不明の推定75歳の女性。警察も探偵も諦めた中、彼女が一体誰なのかを追い求めて奔走する男女2人の記者のルポだ。今年初めに共同通信のウェブサイトで公開され話題になった記事が再構成され書籍化されたものを手にとったのも束の間、本のページの上で映画が再生されるかのように展開がめぐり、ページをめくるのが止まらなく、一気に読み切ってしまった。2022年12月現在、テレビで放映中のドラマ「エルピス—希望、あるいは災い—」(16年前の少女殺人事件の死刑囚が冤罪ではないかと、女子アナとADが取材するサスペンス) だったり、そこから何となく思い出して最近再鑑賞した、映画版の「ドラゴン・タトゥーの女」(40年前に行方不明になった少女の行方を、雑誌編集者と天才ハッカーが追うサスペンス)さながらの真相究明で、さらに、この物語が現実であることに驚嘆してしまう。ちなみに、「さながら」と記したのは、これら3作品が、男女ペアでの捜査、という面で共通しているのもあり、この本にもいわゆる「バディもの」としての面白さもある*1。  

 

もしも「これはフィクションの小説です」といわれたら、信じてしまうかもしれないほどの展開がこの本にはある。だが、人が物語を作る場合は、エンディングをこれほど藪の中に葬らないだろう。
 

生きているものには全て物語がある。しかし、残された痕跡が少なく、または、その痕跡が弱ければ、それを辿ることは難しいという現実も、読後に突きつけられるのだ。 

 

とはいえ、この取材では、「もの」と「文字」と人の「記憶」といった、残された痕跡を出来うる限り集めていき、まだ灯が消えないギリギリのラインでたどり続け、彼女が旧姓だった頃までの姿を立ち上げてしまった。珍しい旧姓だからこそたどり着けた、と部外者が指摘することはたやすい。しかし、仮にそうだとしても、身元にたどり着けずに取材が終わり、記事にもならなかった世界線も十分にあり得たのではないかと思えるほど、何かの強い「導き」が生じてしまった事を、読んだ誰もが感じるのではないだろうか。もちろんその導きは、真相解明に対する記者2人の執念がなければ起こらなかったのは間違いない。 

 

それにしても、当初のウェブでの記事公開後に1200万PVを得たというように、この女性の謎に何故ここまで多くの人が惹きつけられるのか? 

 

そもそも、ある一つの死亡記事に惹きつけられた記者からこの物語は始まっている。そこから兵庫県職員に連絡し、うっかりなのかその人が女性の名前をこぼし、遺産管理の弁護士に繋げたこと。その弁護士の第一声が「この事件はかなり面白いですよ」だったこと。そこからさらに興味を持った記者の同僚。自分の家系図調査をたまたまWEB公開していている、死亡した女性と同じ姓の男性。彼と連絡がとれたことと、その彼の前のめりな好奇心、、、などなど。首の皮一枚でつながる場面が数多くありつつも、関係していく人々が彼女に惹きつけられ、その思いが連鎖してつながっていき、女性の身元に徐々に近づいていく。 

 

この惹きつける力は、その女性「千津子さん」そのものの謎によるものも当然あるだろう。藪の中に残された真相は確かに気になる。彼女の40年近くにわたる尼崎での暮らしはどういうものだったのだろう?人と関係を持たないながらも、つつましく生きたのだろうか?それとも、、、などなど。
 

このように、こちらの勝手な想像によって彼女の物語を立ち上げ、その物語を消費する、ということはたやすい(そんなことを彼女は夢にも思わなかっただろう)。しかし、この本を実際に読めば、私たちの情動は決して、彼女だけには向かわないはずだ。まず、今まで孤独死してきた他の多くの人々、または、今後孤独死してしまうかもしれない人々に向かうことも大切だ。しかし、より本質的には、自分の内側そのものや、自分と今まで関係してきた人々に向かわざるを得なくなるのではないだろうか。

 

今まで自分はどのように生き、いつ、どのように死ぬのだろうか?それだけでなく、今まで自分と出会い、そして別れてきた人は、今、どこで、どのようにしているのだろうか?

 

人と人の関係は流動的であり、興味や無関心も流動的だ。もう二度と会わない可能性が高いであろうかつての知人。最近会わなくなった知人。最近は縁があるが、その人ともそのうち別れがくるのではないだろうか?、などと、私自身と、私と関係してきた数多くの人に思いめぐらしてしまうのではないだろうか。

 

この本を読めば、千津子さんの物語とともに、それを読んだ人自身や、身のまわりの人々にも、物語があることに気がつくはずだ。少なくとも私は色々と思いをめぐらせてしまっている。せっかくなので、その一部にすぎないが、以下、私に関連するちょっとした個人的な物語(とまで呼べるほど大層なものではないかもしれないが)を立ち上げつつ、本の感想も引き続き記していく。

 

■尼崎
実は、私の父方の祖母の実家も尼崎にある。祖母は千津子さんより年齢が2歳上だから同世代といっていいだろう。
私自身、家族とその祖母とで小学校入学前まで尼崎のその実家で暮らしていた。だから、私の幼少期の記憶は、尼崎という大阪の下町の、ガラの悪い空気感とともに体に刻まれている。その後、私たち家族は祖母と離れて引越すことになり、祖母は四半世紀近くそこで一人暮らしをし、ここ数年はその実家近くの老人ホームで暮らしている。

同じ尼崎とはいえ、千津子さん側は、ダウンタウンの地元でもあるJR沿線であり、私の祖母の家は阪神沿線だ。この間には、隣の、さらに隣町といった距離感がある。だから、祖母と千津子さんは町ですれ違うこともなければ、短歌の会に入り、今もボケながら短歌を詠み続けるような祖母と関わることはなかっただろう。そうとはいえ、祖母と同年代の女性が同じ地域で一人暮らしをしている、という共通点で、千津子さんの半生を私の知っている尼崎の少し物騒な空気感とともに想起しながら、彼女を気にかけてしまうし、その孤独死は人ごとではないように感じてしまう。無論、尼崎に限らず、世界のどこであれ、孤独死は人ごとではないとはいえだ。

結局、写真の男性が誰なのかは不明で、千津子さんがその男性と暮らしていた線は薄いという証言が事実に近そうには思えるが、ちなみに(えいやっと書いてしまうが)、祖母の夫(私の父方の祖父)は、父が学生時代に、行方をくらまし、後に亡くなっていたのが発見され、それ以上のことをいまだに教えてもらえていない謎と、千津子さんと田中という男の謎を、関係ないと思いながらも、どこか照らし合わせてしまう自分がいる。

 

■まだ戦後を生きているということ
千津子さんの住むアパートの名前が鹿児島の湾からとられていることを、アパートの管理人が鹿児島出身だと知って記者が気付いたこと。そこから、高度成長期にかけて、阪神工業地帯には鹿児島や沖縄からの移住者が多い、と記されている点から思い浮かべたことがある。それは、孤独死無縁社会は、生まれた地から離れて移り住み、身辺で頼る者が少なくなることで起こりやすいのではないか?ということ(もちろん移り住まなくても孤独死は起こりうることだという留意は必要だ)、そして、その移住は戦争とその後の復興に伴っている、ということだ。そもそも、千津子さんは、広島出身であり、この本には彼女と原爆投下が関連する話が出てきてしまうところからも、今もまだ戦後が続いていることについて考えざるをえない。

ところで、実は私の母方の祖父(前述した祖母は父方)もアパートの管理人と同じく鹿児島出身で、戦後尼崎に出てきている。
今まで意識をしたことがなかったが、私自身のルーツも、戦争そのものに関わっていることに気付かされた。この歴史がなければ、父も母も生まれていなく、尼崎で出会ってないからだ。

 

■珍しい苗字
千津子さんの旧姓が全国に100程度しかいない、と聞いて、まさかの別の関連での再登場だが、母方の鹿児島出身の祖父の苗字(母の旧姓)を思い浮かべないわけがない。祖父の苗字も全国に300程度しかないらしく、鹿児島ルーツなのだ。話は以下徐々にそれていき再度戻していくが、私は夫婦別姓派であり、というのも、日本での同姓システムは、男性側の苗字が9割5分ほどの確率で勝つトーナメント戦とならざるを得なく、確率的に、将来必ず希少な苗字から消えていき、多数派の苗字が残るからだ。確率的に、と試しにいってみたものの、それが何千年か何万年後なのか計算したわけではないが*2。ただ、もし、その未来が、「自分」と「他者」の区別のつかない世界になれば、姓名というシステムは不要になっているのは確かだろう。無論、これは「人類補完計画」的な意味でいっており、ということは、いずれにしろその頃は姓名システム以前に、少なくとも今の社会システム、または人類か地球そのものが滅びている可能性が高い(70%ほどは大真面目だ)。失礼、話を戻すが、何を言いたいのかというと、もしも、千津子さんが田中ではなく、そのまま旧姓を選べていたら、と仮定すれば、彼女の痕跡をもっとたどることが可能だったかもしれない、ということだ。この点は重要ではないだろうか。もっとも、彼女があえて田中を選んだ可能性もないとはいえない。あくまでも想像にすぎないが。


■知人
特に隠す必要はないと思ったので最後に書くが、そもそもこの本を知ったきっかけは著者の1人が学生時代の知人だからだ*3。まだ夜に寒さが残る4月の夜のサークル棟の前で、やけにアナーキーボブ・ディラン好きな文学男子が入ってきたな、と感じたのはよく覚えている、とだけここでは記しておく。mixiが衰退する前*4のあの頃は、長文を書いて身内で共有し、コメント欄で議論&たまに炎上する文化が一時期あり、その中で彼が書いた文も読んできて、そこからは対面だけでは分からない彼の人となりを多少は知っていたつもりではあり、(この著書は共著であり、ルポという形式をとっているので単純に比較出来るものでもないが)、今回この本を読んで、変わったな、と思うところと、相変わらずやな、という両面を勝手に感じつつ*5、何よりも、2人の記者が関西と広島を奔走する姿が本のページの上でありありと映画のように再生されたのは、片割れに私と知己がある以上に、次々と導かれるように発生する事象に対する記者の克明な描写が、報道の特集記事でもあまりできないであろう小説的描写と伴って展開されているからだといえる。
無論、もし私の人生が彼と出会わなかった人生だとして、この本に出会ったとしても、感想は変わらないだろう。

 

 


2022/12/1 取り壊し前の東急渋谷本店内のMARUZEN&ジュンク堂書店で購入。その日に読了。

 

2022/12/3 アテネフランセへの行き帰りで清書。特に後半は、蓮實重彦の茶目っ気を含んだ意地の悪さとその愛、ジョン・フォードが執着した「投げること」に感化されながら。

*1:バディ、は元々男性同志のコンビを指すらしいが、最近は男女間でも使われることもあるとのこと

*2:そもそもどう計算するのか分からない。出生率が高ければ減らないで増えていく一方か?

*3:今年初頭に書籍化前のWEB記事がバズっていたのは知らなかった。ここ4年ほど、Twitterのトレンドの国設定をアイスランドにしているのもあるだろう

*4:日本でTwitter広瀬香美によって普及する前&ザッカーバーグサバンナ高橋と瓜二つなことに日本国民が気がつく前

*5:そりゃ10年も経つので誰だってそうだ。私もだいぶ変わったし、相変わらずだ

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』

 
 
1969年の夏のニューヨーク。黒人文化の中心地ハーレムで、6回にわたり開催され、30万人が集ったというブラックミュージックの「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」。
 
出演する数多の黒人ミュージシャンのオールスターぶりは、まるで、マーベル映画のスーパーヒーローが集結した『アベンジャーズ』さながらである(決してReady Player Oneではない)。
 
さらにマーベル映画で例えるなら、フェスティバル全体から放たれる、彼/彼女たち自らがブラックであることの誇りや気概は、黒人主導で制作された黒人ヒーロー映画『ブラックパンサー』を観てビシバシ伝わるエネルギーと同質だ。
 
ところで、この大人数集まるフェスは、当初は警察の協力を得られなく、警備に当たっていたのが「ブラックパンサー」の党員であったと映画の中で語られる。
 
ブラックパンサー(党)とマーベルのブラックパンサー。「ブラックパンサー」は、現実の世界と架空の世界、それぞれ別に存在している。
 
マーベルのブラックパンサーは、元々、近年の映画よりもはるか前の1966年、このフェスの3年前に、初の黒人のヒーローとして登場したコミックのタイトルかつ主人公である。
そして、それとほぼ同時期に、マルコムXが暗殺され、公民権運動(黒人解放運動)がアメリカで激しくなってきた頃、ブラックパンサー党が結党された。
 
同名のコミックと組織がほぼ同時に現れたことは、偶然なのか、それとも、どちらかがどちらかを引用したのか、諸説あるらしい。しかし、奴隷解放から年月がたっても、人種差別が根強く残る時代に、黒人社会の中でヒーロー像が求められたのは必然だろう。現実の厳しさが虚構を求め、その理想を現実に夢みようとする力学が、現実と虚構において、同名のブラックパンサーを導き出したのだ。
 
さて、スティーヴィー・ワンダーやB.Bキングから始まり、そのフェスティバルで繰り広げられる様々な演奏は、ブラックミュージックラバーズにとっては、至極の演奏だろう。
 
しかし、至極であると同時にすさまじいエネルギーである。私個人としても、こんなにエネルギーのある音楽を体験することはなかなかない。念のためだが、それは昨今のコロナ情勢でライブの音楽を体験する事が少なくなっている、ということでは全くない。
 
このフェスから発せられる音楽のエネルギーとは、ミュージシャンと観客が、ともに踊り、歌い、時には悲しみ、鼓舞し、主張し、それと同時に様々な文化を招き入れる、などといったエネルギーであり、そこでは、音楽体験と今を生きることがアクチュアルに結びついていることを見せつけられるのだ。
政治的である、というのは、本来、このようなことにほかならないだろう。
 
この映画を観ることは、かつての名演を観て、感動し、消費する、ということだけではすまされない。
この映画は、ただ単に演奏シーンを流すのではなく、当時のニュース映像や、当事者の現在のインタビューを、(平井玄氏が指摘したDJのように*1、または、思い出野郎Aチームの高橋氏が指摘したMPCで編集するかのように*2 )巧みに混えることで、そこで演奏される様々な音楽や、演奏間のMCのことばの時代背景を、政治的側面もあわせてあぶり出し、映画を観る者までも鼓舞させる。
 
私自身もブラックミュージックを愛好するが、政治側面を意識することは正直なところ多くはない。だから、ザ・ルーツのクエストラブが、ここまで本気の作品を作るとは思ってもみなかった。思えば、この映画は本国でも今年公開だが、去年のジョージ・フロイド事件から端を発して激しくなったBlack Lives Matter運動と明らかに呼応している。
 
このことは、2019年公開のモータウン初の公式ドキュメンタリー映画『メイキング・オブ・モータウン』で、創設者のベニー・ゴーディが、後に有名曲となるマーヴィン・ゲイの「What’s going on?」のリリース前に、その歌詞の政治メッセージに難色を示したことと対照的である。インタビューが行われたのはせいぜい2〜4年前だろうが、ゴーディは近年でも未だに音楽で政治的主張をすることに肯定的ではなかったのだ。(とはいえ、念のためだが、この映画も時代背景がよく解説された名作である。創始者が90歳をすぎて未だにノリノリかつ元気すぎる姿にびっくりした)
 
もしブラックミュージックに疎く、出演ミュージシャンについてあまり知らなくても(私自身も知っているといえる出演者は1/3ほどだ)、どんなジャンルでもいいから音楽が好きならば、この映画はあなたに関係のない映画ではないはずだ。映画が放つ強烈な熱意にやられるかもしれないし、単純に演奏に心打たれることもあるかもしれない。または、様々な身近なポップスが、ここで演奏されるブラックミュージックの影響を受けていることも感じ取れるだろう。それは、自分の身近な音楽と、このフェスで演奏された音楽との間の距離、ともいえる。
 
距離でいえば、そのほかにも、自分と音楽の距離、音楽と生活の距離、音楽と政治の距離、理想と現実の距離、など、様々な距離を測るきっかけが、この映画にはある。
 
69年にこんな最高なライブがあったことが50年後にようやくこの映画で明るみになったが、時代背景として最悪な事があったのも事実だ。しかしそれは、70年代もそうだし、80年代、90年代、00年代、10年代、そして、20年代の今だってそうだ。ディケイドで区切るまでもなく、歴史を振り返ればいつだってそうだし、今後もそうだろう。意識的にも無意識的にも、新しい音楽は時代の変化に応じて生み出されていく。

*1:私の文章よりはるかに必読だ 沈みゆく街で|①魂の夏|現代書館|note

*2:日本の公式サイトのコメントより

『ノマドランド』

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居場所が奪われた人々や、居場所から立ち去った人々が旅行く。そんなノマドの人々の言葉で揺さぶる映画だった。そして、エンドクレジットで、主人公と助演男優以外の、ほとんどの登場人物の役名と実名が一致するのを目の当たりにして、この映画に登場した人々は、役者ではなく、本当のノマドの人々だと察し、ここでまた感銘を受けた。私は基本的に映画を観るときは前情報をほぼ入れないようにしているので、何も知らなかったのだが、ノマドの人々のこの言葉の重みはどこからくるのか、と私が劇中に感じていた疑問はここで解消された。

 

また、もう一つ好きなシーンとしては、ノマドの60代ほどの男性と、その息子(ミュージシャン役)の2人が、家でピアノを連弾するところ。2人の親子が、つたないながらも歩みよっている姿が、音にもあらわれていて、とても良かった。
そして、後で調べると、この2人は本当の親子(俳優David Strathairnと息子のTay Strathairn)で、息子のTayは本当にミュージシャンと言うことが分かった。

 

この映画では、このように、脇を固めるキャストが(ほぼ)本人役で出演しているようだ。しかし、ここで彼/彼女らが伝える言葉は、本人の言葉なのか、または、他の人が考えた脚本の言葉なのか、どちらなのか?ということは、気になってはいるものの、調べて考察する、ということは、今はしない。(考察する際には、この映画には、原作のノンフィクション本があり、それにあたるべきだろう)

 

この映画は、ペドロ・コスタのように、ポルトガルの現地の人々と作り上げたような共作性という所までは、もちろん振り切ってはいない。コスタの手法は極北と呼べるものだろう。あくまでもこの映画の佇まいは劇映画だ。
それは、主演のフランシス・マクドーマンド演じるファーンから派生した物語であることに多くを負っていると思う。
とはいえ、ノマドの人々の脈打つリアリティさというのはこの映画で強く感じ、それは職業俳優には出すことが難しいだろう。
この映画は劇映画然としながらも、ドキュメントとしても息吹いている。

 

スタジオセットを使用せず、素人の俳優を起用する、という手法は、戦後イタリアの、ロッセリーニや初期フェリーニなどで、知られる「ネオリアリズモ」として知られているが、この映画が評価されているのは、ネオリアリズモ的手法で描いた現代のロードムービーであることが大きいのだろう。

 

また、「あくまでも劇映画」と感じた、ほかの要因として、音楽の使い方がある。音楽をどのように、どれくらい鳴らすか?というバランスは、映画とドキュメンタリーの差や両者のグラデーションを考える上で肝だ。(もちろん無神経に大仰に音楽が使われてしまうドキュメンタリー作品、というのも、ちまたには多い)

 

この映画の音楽は、先に書いた、親子のピアノの連弾、バーのブルースピアニスト(この2つは特に素晴らしい)、主人公の鼻歌、主人公が遭遇するカントリーミュージシャン、など、映画内の人々が実際に奏でる音楽と、劇伴の音楽の2種類がある。
前者については、前述のとおり良いシーンもあり大きな問題は感じなかった。しかし後者の劇伴については、私は違和感を感じた。


この映画の劇伴は、映画のトーンに沿いながら、静謐なポストクラシカル的音楽が所々に使われ、仰々しさはなく、その点では問題はない。
しかし、特に物語後半において、主演のファーンの心情をわざわざポスクラのメランコリックな音楽で表す必要性はない、と私は感じた。かつてなく活き活きした女性を演じるフランシス・マクドーマンドの気持ちを、音楽が代弁しているとしても説明過剰だし、その代弁もズレているように私は感じたのだ。

 

これは、個人的な好みもあり、仕方がないかもしれない。個人的には無音楽で環境音のみが一番良かったのでは、と感じている。

 

ただ、それよりも一番違和感を感じたのは、その音楽の流れと映像の流れのズレだった。言葉で説明するのは難しいのだが、映画音楽家がこの映像の流れで、このように音楽を展開させることがあるのだろうか?という違和感があった。そして、この違和感も観賞後に調べて原因が分かった。それは、この映画で使用されている、メインのLudovico Einaudiの音楽やOlafur Arnaldsのピアノや弦楽のポスクラ的音楽は、監督が選んだ既存曲であり、この映画のために作曲されたO.S.T(Original Sound Track)ではなかった事である。もちろん、映画で既存曲が使われることは何も珍しいことではない。特定の映画を指さなくても、バッハやベートーベンなどのクラシックが映画内で鳴っていることもあれば、ポピュラー音楽の既成曲が映画内で使われることは頻繁にあることは誰にでもすぐに分かるだろう。または、ある映像作品のために音楽が作曲される、からといって、映像ができていない状態で、伝えられたイメージだけで音楽だけが先に作られる、ということもある。

 

既存曲を使用する場合、その曲の挿入は監督の手に委ねられているのが大半だと思うが、それは映画音楽家が挿入するのと大きく変わってくる。そこには、ゴダールのように、音楽をぶつ切りにしてしまうという、音楽家としてはほぼありえない手法が出てくる面白さもある。

 

このノマドランドに関しては、なぜ映画音楽家に委嘱しなかったのか、という疑問がでてくるが、もしかすると、実在人物を役者として採用したのと同じように、既存曲を劇伴として採用した、のかもしれない(これは私の仮定であり妄想である)。しかし、それを仮定したとしても、それには無理がある。役者はこの映画のために演じているが、既存曲はこの映画のために奏でられたものでないからである。とはいえ、私は、映像と音楽の、元々は2つの関係のないものが、なぜか調和してしまう、というマリアージュの可能性、も多分に信じているのだ。しかし、少なくとも、私にとっては、この映画では映像と劇伴の幸福なマリアージュは感じられなかった。監督や役者に対する賞受賞の評価に対して、音楽についてはノミネートの時点で少ないのは一つの証左ではあるだろう(ただ単にオリジナルスコアでないからノミニーされてないということかもしれないが)。もちろん賞をとるから良い音楽という訳ではないし、Twitterで日本語と英語で感想を調べても、多くの人がこの映画の音楽を評価している。しかしある程度音楽を愛し、理解がある者にとって、セッションやララランドの音楽があくまでもショービズ的な音楽にすぎなく、実際のジャズ界とは遠くかけ離れた音楽であると違和感を感じるのと似たものを私はこの映画の劇伴にも感じた(再度言っておくが、登場人物の演奏は良いシーンがあり、ここで私はバックの劇伴についてのみ言及している)

 

個人的には、この映画でアメリカの音楽の考証をもう少しつめていくこともできたのではないかと感じている。もちろん、ここで私はオーセンティシティを求めているわけではない。アメリカの映画にはヨーロッパのクラシック作曲家の音楽があわないなどといいたいわけでも全くない。特にアメリカ映画は多人種かつ多国籍で作られて当然の時代になっている。だから、いくらでも例はあるが、一例では、ブラックパンサーというほぼBlackの人々で作られたエンターテイメント作品の音楽は、アフリカの本格的なポリリズムを多用し、素晴らしい劇伴になっているが、それを作ったのはスウェーデン出身の音楽家である(実際にセネガルの音楽を研究したとのこと)。

 

それに、そもそもこの映画自身、アメリカの物語を中国出身の女性監督が描き、それが素晴らしい仕上がりになっているのだ。ただ、この映画は元々は主演のフランシス・マクドーマンドの企画であり、監督は彼女が指名している。だから、監督にとっては、アメリカの音楽の理解はそこまでは深くなかった結果、この映画ではアメリカのフォーク音楽にもう少し正面から向き合うことはなかった、と考えることもできる。

しかし、だからといって安易にアメリカーナ音楽の代表格のT Bone Burnett(コーエン兄弟など)を起用すればいいというわけでもない。彼の場合、この映画のトーンとは少し異なり土着的すぎるかもしれない。

 

または、非アメリカ人のフォーク、カントリー音楽として、Gustavo Santaolalla(アルゼンチン出身。彼が音楽を手掛けたモーターサイクルダイヤリーズやブロークバックマウンテンと、ノマドランドには近さがある)や、Daniel Lanois(カナダのロック、アンビエント楽家。映画だとスリングブレイド)、日本だとJim O’roukeまたは、渡邊琢磨、が、この映画を手がけるとどうなっていたか?ということをわたしは夢想してしまう(単に私が好きで、この映画とフィットしそうな音楽家を挙げているだけである)

 

この映画はフランシス・マクドーマンドが企画し、監督自身が切望してとった映画ではないと思われるのだが、それ故に近視眼的にもならずも、本来は別々だった人々の歩みよりが生じた、バランスのとれた普遍性がある。だからこそ、数多の賞を受賞しているとも捉えられ、これらの賞受賞には何も異論はないが、私にとっては、映画にとっていかに音楽が重要であるかを再確認させた作品であった。この映画の劇伴に満足している人は多いようだし、私としても劇伴が作品のよさを損なう、という所まではギリギリいっていない。しかし、私にとっては、あと映像と劇伴のマリアージュさえ成就していれば、紛れもなく傑作だったといえる。

 

と、ここまで書いた上で、この映画のジャオ監督は今まで、アメリカを舞台にネイティブアメリカンやカウボーイの作品を描いたというのを確認し、そこではどのように音楽が扱われているかを含めてぜひ観てみたいと思う。

 

2021/5/5 鑑賞

『空に聞く』

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この映画は、陸前高田で震災後に開局された地元のコミュニティFM局のパーソナリティだった阿部裕美さんを取材した作品だ。

タイトルの「空に聞く」の「空」という言葉には様々な意味が含まれていると思うけれど、その一つは、ラジオの電波が飛んでいる「空」のことだろう。
そして、「聞く」こと。ラジオを聞くこと、人の話を聞くこと、など、この映画は、何かを「聞く」ことに焦点があてられている。

 

そんなこの映画では、劇伴として音楽が流れることが一切なかった。
それは、演出的な音楽を流すことが、「聞く」ことのノイズになってしまう、というのがあったのかもしれない。

音楽がない分、感じ取れるのは、パーソナリティの阿部さんの声の表情や、インタビューされる地元の人々の声の機微だ。

それと同時に、阿部さんが語る声と言葉自体が、「うた」そのものに限りなく近いから、音楽がいらなかったのではないか、とも感じる。

阿部さんが、黙祷の生放送を毎月11日に行なっていたことを「そうするしかないから、そうした」(大意)ように、音楽がないのも、そうするしかなかったからそうしているとしか思えない。そういった意思は、この映画の作り方にも阿部さん自身の姿にも何度も垣間見ることができるけれど、その選択が出来るのは、効率や慣習にとらわれずに、真っ直ぐにものごとを捉え、人のことを想うことができる人だけだ。

多分、この映画で唯一流れた音楽は、阿部さんがラジオで流した、(地元と思われる)幼稚園児の合唱だけだったと思う。それを聞く阿部さんの言葉と表情も含めて、グッとくるものがあった。

 

ところで、自分にとって、ラジオというのは、お店でたまたま流れていたり、車の中でたまたま流れていたり、と、空に飛んでいる電波を、たまたまいあわせた場所で聞くものだ(もちろんある番組を目当てに聞くこともある)。

そして、それは、たまたま大陸のプレートの振動を波として受け止めることと似ているし、たまたま人と出会う事とも似ている。
それは飛躍にはならないと思う。私たちは光、音、電波、空気、地面、といったあらゆる波と、常に遭遇していることを考えれば。

 

この作品で、阿部さんの口から語られる人々や風景、または花は、直接映されることがなかったり、映ったとしても、それが語られた時から時間をおいて配置される。この映画は、わかりやすく答え合わせをさせてはくれない。

けれども、それは、私たちがある人と初めて出会って、何回か会ううちに、その人のことを徐々に知ることになる、という体験。この映画を観ることは、その体験をすることに限りなく近いと感じた。

だから、この作品の若干の分かりにくさ、というのは、不親切さでも、共感を妨げるものでも全くない。いや、観客に安易な感動を誘わないような意図は感じ、それは、簡単に被災者の気持ちを分かったつもりにさせないというものだろう。

だとしても、この映画で、語られるが映されないもの、または、語られるが何の事か具体的に分からないこと、でも、それをよく「聞く」と、その断片から、話者の気持ちが滲み出ているのが感じられ、十分にこちらの想像は喚起させられる。

そして、その断片と断片がつながって段々と地図が出来ていく。

それはまた、津波で一掃された土地の上で、ポツンポツンと建物が立っていき、徐々にまちが作られていく、この映画が捉えた被災地の復興の様子にも近い。

 

それはまだ途中で、そこにはまだ答えも完成もない。

それでも、その一つ一つをつなげることをやめずに続けること。

 

2020 11/23 ポレポレ東中野
トークゲスト:
森はるか監督 
細馬宏通(人間行動学者 かえるさん)

『セノーテ』

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太陽から水中へ差し込む光線は、青白く突き抜け、そこから幾層もの波のカーテンが揺らいでは消える。または、水中の粒子や泡のうごめきが光に照らされていく複雑な色彩と陰影は言葉では説明が不可能だ。

映像というのは撮影者とカメラがあって捉えられるものだが、この映画でこのような映像がスクリーンへ映される時、ダイバーとカメラという存在が消え失せる。その時に立ち上がるのは生者がみることのできない世界。もっといえば、そこは、この映画で語られる、隕石が落ちて形成されたメキシコの泉=セノーテで命を神に捧げた者たちが漂っている空間そのものなのかもしれない。そこは、もはや水中であるかどうかすら危うい空間に変化(へんげ)していた。

私はこの映画をみて、「スクリーンに映された水中の幻想的な映像をこの目で見た」というよりも、「セノーテ(泉)で命を落とした者たちの漂いを感じた」というような信じ難い体験をしたのである。観客である私たちは、映画を目でみて、耳できく、という行為をしているにすぎないのは間違いないはずなのに、体験としてはその感覚を超えていくのだ。
水中の陰影や岩の影に、死者の存在を感じることも幾度かあった(念のためだが、心霊現象的な意味では全くない。みた人にはそれが分かるはずだ)。

何故死者を強く感じるのか、ということを考えた時、この映画では、大半が、映像と音声が一致せず、そのせいで現実感が薄くなっていることも挙げられる。地上の人々の顔は若干速度を落として再生され(この減速も現実感を薄めている)、その人々が声を出すことはない。その代わりに、人の声は水中の映像とともに、複数の現地の語り部によって流れる(それは匿名の使者の声にしか聞こえなかった)。人が口を動かして話すシーン、というのがこの映画にはない。
また、水中の映像で流れる音声は、人が水中で実際にきく音ではないし、映像と同時録音された音声ではない(はずだ)*1。そこに流れる音声は、水中の映像のイメージから想起して、水辺の様々な音や人の声をフィールドレコーディングした素材を編集して付加した音声にきこえた。(どうやって制作したかものすごく気になりパンフレットを買ったがまだ読んでいない)。

この映画は、ひたすら水中に潜り続けるシーンが続くか、そのはざまで、地上の人々が歌ったり演奏したり闘牛をしたりする祝祭空間や儀式のシーンがはさまれるかの、おおまかに2種類のシーンで形成されるが、それは死者の世界と、生者から死者の世界へのアクセスの描写そのものだ。

だから、この映画をみて、「映像が幻想的だ」と言ってしまうことほど、危険なことはない。

 

2020 11/6 横浜シネマリン

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その他

・今までこれと似た経験は、アピチャッポンの舞台作品「フィーバールーム」でしたが、あれは人工的な光と煙で形成した世界であったのに対し、この映画では、自然現象をカメラで捉え、その編集で成し遂げているのが驚異的だ。フィーバールーム詳細は以下。

https://soap.hatenablog.com/entry/2017/02/17/030943


・水中の映像が続いた後に、花火の映像が減速再生された時、それが得体の知れない光と粒子の集合体のうごめきに感じられたところにも驚いた。

*1:中盤のダイバーによるゆったりとした撮影を除く。あそこはダイバーの呼吸音が流れている。魚と同化した目線の映像のようにも感じられた。

『眠る虫』 目に光る記憶 / 記憶をきくこと

 

www.youtube.com

 

 

私たちは眠っている間に夢をみる。
その夢は、私たちが起きている間にみてきた過去の記憶を、編集して再生した私的な映画。

人の目はレンズで、耳はマイク、そして脳を記憶装置(フィルム、メモリ)とみなせば、人は「カメラ」であるといえる。
起きている間、人はカメラとなって撮影しているのだ。
反対に、眠っている間は、撮影を休むかわりに、映像を編集し、再生している。
人はからだの中に、編集機と再生機(プレイヤー)と投射機(プロジェクター)も持っていて、眠っている間にその電源が入り、そのときにみえるものが夢なのだ。夢は、まぶたの裏に投射された記憶の光。

と考えると、目が光る、という事は、何もおかしなことではない。目が光っている時、その人は、夢=その人の映画を再生している、と思えばいいのだから。

人は、寝ても覚めても、自分だけのカメラで世界を捉えているし、自分で世界を再生している。
(再生とは、再び生きるということ、と誰かが言っていたような気がする)

バスに乗っている時でも電車に乗っている時でもなんでもいいけれど、私たちの身の回りでは、全くの赤の他人が、それぞれの人生を生きていて、その誰かは、何かをみていたり、きいていたり、そして、考えたりしている。
でも、他人のそれを、赤の他人の自分が知ることはない。私たちは、自分のみえるもの、自分のきこえるものしか、感受できないから
でもそれは、裏返せば、自分にしかみえないものをみて、きこえないものをきくことができるということ。そして、それを自分の身体で再生できるということだ。

そして、それは希望と絶望の両方に繋がっている。この映画では、その絶望も少し描かれていた。それは自分の声しかきかない人のことだった。

でも、周りの誰かはいつも何かを発していて、そこに微かに残った気配は、かつてその人が再生した夢。それを察知し、追いかけることができることが、希望であると、この映画は話しているようだった。というよりも、それとなく歌っているようでもあった。


2020 10/27 ポレポレ東中野

『タゴール・ソングス』 おしえの音楽

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詩が、愛であり、祈りであり、薬であり、抵抗であり、おしえの言葉となっている。その言葉がメロディーにのせられ、歌となる。すると、言葉がメロディーと結びついて記憶を刻み、血肉化する。そして、それがその人の一部になる。

 

しかし、言葉とメロディーが結びつくことは、言葉にとっても、メロディーにとっても、必ずしも幸せなこととは限らない。

 

ブッダの頃は
修行に音楽はなかった
長く引き延ばした声で経文を歌うのは
よいこととは言えない
教えより声の美しさに心が向いてしまうから

高橋悠治 http://www.suigyu.com/yuji/ja-text/2000/seijaku02.html

 

このような仏教の禁欲的態度を持ち出すのは現在の一般人には難しい。とはいえ、現在の音楽において、メロディーという波に言葉がのまれているような歌は割と多いと私はよく感じるし、そもそも言葉が薄く、メロディーにのりきれずに消えてしまう歌も多々ある。
または、歌の言葉が、その音楽の印象を変えてしまう、ということもある。

 

言葉とメロディーが渾然一体となる、というのは、いつも起こることではない。それは、人と人との関係が、他人であったり、友人であったり、パートナーであったりと、いろんな関係がありえることと同じだ。(とアナロジーをしてみると、メロディーと言葉が他人のような関係の歌、というのも面白いような気もしてくる)

 

歌の話にもっと踏み込む前に、歌になる前の詩の言葉についてここで少しはさもう。

詩の言葉には元々メロディーはない。その言葉は、文字として黙って読むか、声に出して朗読される。しかし、現代において、記述された文字を読むことは黙読であることがほとんどだ。だが、これは昔は当たり前のことではなかったと社会人類学者のティム・インコルドはいう。古代から中世までにおいて、読むことは、声をだすことと結びついており、読むことは、その声を聞くことと等価だったのだ。

 

読む行為は、テクストという対話者の声を聞き、その声と会話をかわす行為(パフォーマンス)だったからである。読むことが孤独な知性の操作となり、読者を周囲の世界に感覚を浸している状態から切り離すことなど考えられなかった。

~~
読書は「歌うことや書くことと同じように、身体と精神が動員される活動」として理解されていた。

ティム・インコルド著『ラインズ 線の文化史』

 

さらに、インコルドは、音楽へと踏み込み、その時代までにおいては、

 

純正な音楽とは本質的に言語芸術だった。

 (同上)

 

という。音楽の上で、歌として声をだすことは、その言葉を聞いて、読むことでもあったのである。音楽は、かつて、神の言葉を伝える手段であった。そこでは、楽器の演奏は二の次だった。そして、声については、なによりもその言葉が重要視されていた。音楽と言葉が分離し、楽器のみの音楽が発達したのはここ数百年のことである(注: インコルドはここでは西洋音楽を中心にこれを論じている)。

  

また、インコルドは、

テクストを読む者は、牛が口を動かして食べたものを反芻するかのごとく、言葉を呟きながら記憶の中でテクストを繰り返すようにと強く促されていた。

 (同上)

 

という。さらにいえば、言葉(テクスト)をただ読むだけでなく、メロディーにのせて歌にすることは、反芻から消化への血肉化をなお一層強化する。

 

しかし、近代以降における、読む行為の、朗読から黙読への変化と似たものは、音楽にもあるのだ。それは、音楽(歌)が、録音技術の誕生によって、自分で演奏(≒朗読)するものから、人の演奏をきくこと(≒黙読)中心へと変化していったことだ(例えば渡辺裕が「聴衆の誕生」で論じているように)。今まで、自分の身体を動かしていた行為は、他へと任せられてしまう。歌と言葉の関係は、かつてより弱くなってしまった。

 

しかし、この映画では、インドやバングラデシュの現代の老若男女たくさんの人々が、タゴールという人物の詩を歌っている。そして、そこでは、歌うことは生きることそのものであるかのようなのだ。

 

タゴールとは1913年にノーベル文学賞を受賞したインド(その中のベンガル語圏)の詩人であり、音楽家であり、教育者であり…、と多彩な人物である。 

 

この映画では、本編中に、ほぼ常に誰かがそのタゴールの詩を歌っている。それをきき、歌詞を字幕で読んでいると、メロディーと詩の言葉が分かち難く結びついているように強く響いていた。

 

詩の言葉自体が、生きるための道しるべになっている以前に、メロディーそのものが、そこにのせられた言葉を、身体深くまで潜らせるための道しるべとなっているのだ。道しるべは、実は言葉ではなく、メロディーなのかもしれない。それが血肉化をより強めている。

 

そこでは、本に言葉が刻まれるように*1、歌い手の体の中に言葉が刻まれているのだ。だから詩が歌われる時、その歌い手は「本」と化しているといえる*2。詩を歌うことは、その自分の身体の中にある本に書かれたおしえを、聞き手に伝えていくことなのだ。さらに同時に、その中の最大の聞き手は、歌い手自身でもある。自分が本となり、自分がその一番の読者なのだ。

 

そして、その歌は、娯楽である以上に、快楽である以上に、または、個人的な心情を歌う以上に、人々に寄り添ったおしえとなる。

 

そのようなおよそ100年前の歌が、現代においても引き継がれ、ギターを弾きながらシンガーソングライター的に歌われ、または、若者に最新のヒップポップのリリックとして堂々とライムされているのをこの映画で目の当たりにし、私は驚嘆した。私だけでなく、この映画をみたほとんどの人(少なくとも日本人)がそう思うことだろう。はじめにインコルドを引用しながら論じた、かつての言葉と声、または、詩と歌の関係のように、100年前の詩が、歌として声にだされながら、おしえとともに人々に継承され根付いていることに驚嘆してしまうのだ。今の日本には、そのような音楽も、おしえも、それらの継承も、ない。

 

ここで、日本にそのような音楽や言葉(おしえ)があったほうがいいか?と考えてはみるものの、それ以前に、この国ではそんな音楽も言葉も、もう成り立ちえないのでは、と思ってしまう。もし出来たとしも、それは簡単に政治的に利用されるリスクが高い、と考えるのは悲観的すぎるだろうか。他の国はどうなのだろう。しかし、あまりにも過去を簡単に捨て、過去から何も学ばない昨今のこの国の状況を鑑みるに、継承の問題を考えざるをえない。

 

と感じる一方、気分をかえていきましょう、この作品の最大の見どころは、大人の、子供の、若者の、老人の、詩を歌う表情なのだ。みんな本当に良い顔をして歌っている。全編を通してみんながそうなのだ。

 

最も大切なことは、自分の身体深くまでを、歌で刻み込むことだ。そして、そのメロディーと詩によって刻まれるのは、あの表情そのものなのだと、強く感じた。深層は表層にも宿るのだ。

 

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コロナ禍という言葉が出てくる前だったと思う。3月前半に、友人主催のイベントが開かれ、そこで監督の佐々木さんが来ていて、タゴールのことも何も知らなかったのだが、そこで前売りチケットを売っていて、バイブスだけで今回観る機会となった。公開延期となりつつ、規制緩和後の上映再開直後のタイミングのこの時期に、この映画と鉢合わせることができたのは、幸運な交通事故だったと感じている。

 

2020 6/13 ポレポレ東中野

*1:インコルドに倣えば、現代の本は印刷され、それは実際に手で文字が刻まれたものと大きく異なるのだが、それについてはここでは置いておく

*2:またそれは、印刷物としての本ではなく、手書きの手帳やノート、詩集のようなこともあるだろうが、ここでは一応として「本」で統一しておく